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護憲的安全保障論ver.1

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    泥憲和さんが生前にMIXI日記に投稿していた論考を掲載いたします。

     

    ==========================

    護憲的安全保障論

                                                            20070708

     

     1 憲法第九条1項 その(1)

     自衛隊はその装備から評価すれば、いまやアジアで最も精強な部隊といえます。

     しかしもっぱら守りに徹して、攻めていかない戦略をとっており、これを専守防衛と名付けています。

     この戦略を肯定すれば、自衛隊は小規模かつ精強な組織であることが望ましい。

     しかし護憲論をとなえる多くの人が、自衛隊が違憲の存在だといいます。

     私は護憲の立場にたちますが、自衛隊は合憲だと考えています。

     憲法第九条は自衛権を否定していません。

     これから私がそう考える理由を述べ、その後、なぜ憲法を変えてはならないかを述べようと思います。


    国防は政府の義務である

     もしも九条が自衛権を否定しているとすれば、外国から侵略されても、政府は抵抗してはならないことになります。

     国は国民の生命や権利や財産を守ることを国民から負託されているのですが、外国の侵略があっても抵抗できなければ、国家主権を奪われてしまいます。

     国家主権を奪われると、国民の生命や権利や財産(基本的人権と言い換えてもよいでしょう)を守るという国民の負託に応えられなくなります。

     ですから国がこの義務を、自分からすすんで放棄することは許されません。

     外国の侵略から国民を守ることは、国の本源的義務なのです。

     基本的人権の擁護を国に義務付けた憲法が、もう一方で基本的人権の擁護を放棄するような条項をおけるはずがありません。

     よって憲法第九条が国防を否定しているという解釈は、原理的に間違っているのです。

     仮に憲法第九条が自衛権を否定しているとしましょう。

     すると憲法の全条項のうち九条ひとつを守ることで、他の条項すべてが外国に蹂躙されてしまうかも知れない。

     憲法第九条が国防を否定しているとすると、憲法第九条は他のすべての条項と対立関係にあることになってしまうのです。

     これは大いなる背理です。

     憲法体系は、そもそも無矛盾の体系としてつくられています。

     矛盾は、原理的にあり得ないのです。

     もしも、とある解釈で憲法内部に矛盾が存在しているように見えるのならば、間違っているのは憲法ではなくその解釈なのです。

     だから九条が自衛権を否定しているという解釈は、誤っていると言わざるをえないのです。

     この立場にたったときのみ、憲法第九条を正しく解釈できることを、以下に示そうと思います。

    「国権の発動たる戦争」とは何か

    【憲法第9条一項】
    日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

     第一項が否定しているのはふたつです。

    1.「国権の発動たる戦争」

    2.「武力による威嚇または武力行使」

     こういうものを、「国際紛争を解決する手段」として使ってはならないというのです。 ではこれがそれぞれ何を意味しているのか、考えましょう。

     「国権の発動たる戦争」とはなんでしょうか。

     「戦争」一般ではなく、

     あえて「国権の発動たる戦争」と条件づけられています。

     これには意味があるはずです。

     そもそも「国権」とはなんでしょうか。

     国権とは「国家権力」のことではありません。

     これを「国家権力の発動たる戦争」だとして、政府軍の抵抗は許されないが国民の民間抵抗運動なら許されると解釈し、義勇兵によるレジスタンスで国を守ればよいとする論者もありました。

     しかしそれは誤読です。

     日本語では不文明ですが、英文では「a sovereign right of the naton」とあり、国家主権のことだとわかります。

     「right」とは権利です。

     憲法は「権利行使としての戦争」を禁じているのです。

     これはケロッグ・ブリアン条約(不戦条約)でいう 「国家の政策の手段としての戦争」を意味しています。

     同条約第1条はつぎのとおりです。

    第1
     締約国は、国際紛争解決のため、戦争に訴えないこととし、かつ、その相互関係において、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の人民の名において厳粛に宣言する。
    http://mblog.excite.co.jp/user/souansyuu/entry/detail/?id=216749&guid=ON&_s=a6d6f9255148a8e8ae848cd063639799

     同条約は数年で死文化してしまいましたが、その反省を基にして、現在は国連憲章に受け継がれています。

     国連憲章第二条 3

     すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。

     4

    すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

     憲法第九条一項とほとんど同じ内容であることがわかります。
     日本国憲法が「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することや、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することを、改憲派は無責任だとかお花畑だといいます。
     しかしその規定は無責任ではありません。
     国連憲章に誠実に準拠しているのです。
     その条文を無責任だ、お花畑だと言う意見こそが、国連憲章を否定して国際安全保障を危うくする無責任な意見です。

     しかし世界広しといえども、国連憲章が、一般的かつ全面的に各国に戦争放棄の義務を負わせたと解釈する人はいません。

     条約が放棄を義務づけたのは、あくまでも「国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争」、すなわち「国家主権の発動たる戦争」に限ります。

     防衛戦争の権利は、否定していないのです。
     

     では「国家主権の発動たる戦争」とは何を意味するのでしょうか。

     権利はオプションであり、能動的なものです。

     「政策ノ手段トシテノ」とは、そういうことを意味しています。

     ケロッグ・ブリアン条約が締結されるまで、征服戦争は国家固有の権利だと考えられていました。

     国家は、資源が足りないなどの国内事情を以て、その解決のために外国に攻め入る選択が許されていた、少なくともそれを止める権限は誰にもないとされていたのです。

     そういう考えはおかしいという批判は強くありましたが、その認識が国際的な合意として成立したのは、この条約が初めてです。

     ところで自衛戦争は他国から強制された事態のもとにおける受動的対応で、いわば緊急避難です。

     国家が政策手段として能動的に起こす戦争ではありません。

     国民の生命・財産を守ることを負託されている政府にとって、自衛戦争は憲法上の義務の履行なのです。

     オプションとしての権利行使ではないのです。

     ですから、自衛戦争は国権の発動たる戦争とは言えないのです。


    「国際紛争解決の手段としての武力行使」とはなにか


     つぎに「国際紛争解決の手段としての武力行使」。

     国権の発動たる戦争とまで至らずとも、国際紛争を解決するために、武力で威嚇したり、武力を使ってはならないというのです。

     これは歴史の教訓にもとづいています。

     戦前に日本は満州事変や日支事変を「これは戦争ではない」と説明して戦いました。

     このような「戦争といわずに行う戦争」をも禁じて、いわば抜け道をふさいだのです。

     これまで多くの戦争が「自衛」の名目で戦われましたが、「国際紛争解決の手段としての武力行使」禁止は、自衛の名による侵略の歯止めにもなっています。

     それは、「国際紛争解決の手段」という言葉で示されています。


     「国際紛争」 と 「それを解決する」 とはどういう意味でしょうか。

     そのことについて、コメント欄で「護憲的安全保障論 2 憲法第九条1項 その(2)」として語ります。

     

     

    憲法第九条1項 その(2)

    「国際紛争」と「それを解決する」の意味.

     国際紛争とは国家間の対立があらわになった状態のことです。
     それが外交で解決できればいいけれど、一方あるいは双方が、自国の意思を相手に強制し、もしくは強制されまいとして武力を行使すれば、武力紛争となります。
     武力による解決というのは、相手を武力で屈服させて、その意思を消滅あるいは撤回させることです。

     ベトナム戦争を例に、これを説明しましょう。
     北ベトナムの国家意思は、ベトナム統一という政策でした。
     アメリカの国家意思は、ベトナム分裂状態を維持することでした。
     双方の国家意思がぶつかったのが、ベトナム戦争です。.

     アメリカが北ベトナムを空爆したのは、北ベトナムの国家意思を武力で消滅あるいは撤回させるためでした。
     北ベトナムが空爆に屈服してベトナム統一をあきらめれば、国際紛争が武力で解決したことになります。
     しかし北ベトナムは抵抗戦争を選びました。

     北ベトナムは果敢に抵抗し、アメリカの意思に屈服しない意志を表しました。
     ただし国を守っているだけでは、アメリカの国家意思をくじくことができません。
     でも北ベトナムは自分を守るのに精一杯で、アメリカ本国に攻め込んで自分の意思を強制する武力を持っていません。
     アメリカの国家意思を武力で消滅あるいは撤回させる力がない北ベトナムが国際紛争を解決するには、国連外交に訴えたり、世界世論にアメリカの非道性を訴えるなど、非武力的手段に期待するしかありませんでした。.

     北ベトナムの戦略は成功しました。
     アメリカが北爆を停止したのは北ベトナムの武力に屈したからではありません。
     北ベトナムの国家意思を武力で消滅あるいは撤回させる力がなく、平和世論に抗する道義的理由もないことを悟って、戦いから下りたのです。
     北ベトナムは平和的手段で武力干渉を挫折させたわけです。
     しかし北ベトナムの頑強な軍事的抵抗がなければ、国際世論の勝利もなく、アメリカの意思撤回もなかったに違いありません。

     自衛隊に許されているのは、こういう戦争です。
     日本が仮に侵略されれば、やはり自衛隊は北ベトナム軍のように頑強に抵抗し、その間に政府が国際世論に訴えるなど外交力で相手の意思を挫折させるということになろうかと思います。
     日米安保条約が発動されれば、米軍が相手国の策源地を攻撃することもあるでしょう。
     (なるべくならこういうオプションは選択したくないものです。)

     

     

    憲法第九条1項 その(3)

    国際紛争の武力的解決とはどういうものか.

     北ベトナムはその後、南ベトナムを武力で打倒して統一を達成しました。
     南北ベトナム間の国際紛争を武力で解決したことになります。
     憲法は、こういう行為を禁じています。                                 
     
     ベトナムは民族統一のためにサイゴンに攻め入り、アメリカは自衛のためと称してイラクに攻めこみました。
     このように、武力で国際紛争を解決しようとすれば、必ず相手国の軍事力とその策源地(生産とか補給の根拠地)を攻撃して破砕しなければなりません。
     憲法は武力で国際紛争を解決するのを禁じています。
     ですから、たとえ自衛目的であっても、自衛隊は相手国に侵攻することが許されていません。
     あくまでも防衛一辺倒、これが専守防衛戦略です。

     そもそも自衛隊には外征能力がありません。
     だから外国に日本の国家意思を強制する力がありません。
     しかし抵抗能力としては、相当のものです。
     自国を防衛するだけなら、憲法を変える必要はどこにもありません。
     必要もないのに、今あえて改憲を唱えるのは、自国防衛のためではなく、軍事力行使のしばりをなくすためだと私は見ています。.

    自衛隊の任務と国民の安全の関係.

     ここで少し自衛隊の任務について語ります。
     上に、国には国民の生命・人権・財産を守る義務があると書きましたが、これは国の義務であって自衛隊に課せられた義務ではありません。
     自衛隊の任務は、自衛隊法第三条に規定されています。.

    第三条  自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。.

     自衛隊が守るのは、国です。国民ではありません。
     国民の生命・人権・財産は、自衛隊が戦うことで国の存立が守られ、そのことで間接的・反射的に守られる関係にあります。
     ここが同じ実力組織でも警察とちがうところで、国民が気を付けなければならないところでもあります。

    【参考】

    警察法 第2条(警察の責務)

    1 警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の子防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもってその責務とする。

    2 警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであって、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあってはならない。

     

    憲法第九条2項(1)

    「前項の目的を達するため陸海空軍その他の戦力を保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」.

    保有が禁じられている「陸海空軍その他の戦力」とは何か

     憲法第九条第1項が自衛権を否定していないとしても、第2項で武装を完全否定しているという解釈が有力です。
     しかも国の交戦権まで否定している。
     だから自衛権はあっても憲法は非武力的手段しか認めていないとの解釈があり、改憲派も1項はそのままでよいとしつつ、第2項を変えようと提案しています。
     しかし「前項の目的を達するため」とあるのを無視してはいけません。
     第1項と第2項はリンクしているのです。
     ですから第2項を解釈するときは、自衛以外の武力行使を禁じた第1項の目的に沿って読む必要があります。

     普通に軍隊という場合は、自国を守るために外国へ侵攻することもある実力組織をいいます。
     陸海空軍以外にも、海兵隊や航空宇宙軍という侵攻部隊がありますし、ときには義勇軍を組織して外国に侵攻する場合もあります。
     憲法は、「陸海空軍その他の戦力」と既定して、どんな名目の組織であっても、外国に侵攻することを許していません。
     そういう行動を許していないだけでなく、そんな組織の存在を許さないと言うのです。
     (現在、自衛隊は海外任務も負っていますが、その装備・補給能力を考慮すればまともな戦闘に耐えられる部隊ではありませんので、憲法違反ギリギリのところに達していると思われます。危ないところへきています。)

    自衛隊は一般行政機関である

     いま述べた内容を前提にして、自衛隊が「国際紛争解決の手段としての陸海空軍その他の戦力」にあたるかどうかを考えます。
     通常、軍隊は一般行政機関と区別して扱われます。
     武装警察や国境警備隊は、外国との交戦をも任務としていても、軍隊とされていません。
     軍と警察のちがいは、どんな法律によって規律されているかの違いです。
     警察などは一般法と行政法の下におかれています。
     つまり司法権のもとに規律されているのです。
     これに対し、軍は一般法と行政法以外に、軍法という独自の法律を持っています。
     この法律を運用するのは司法裁判所ではなく、軍法会議という軍隊司法機関です。
     軍法会議は軍律裁判所ともいいます。
     裁判所と名付けられていても、軍事組織です。
     あまり知られていませんが、軍法は軍隊内部にのみ効力をもつと思ったら間違いで、国民にも適用される条文を持っているのが普通です。
     ですから軍を持つ国は、司法権が二重になっています。

     しかし自衛隊は軍法会議などの軍隊司法を持たず、憲兵もいません。
     すなわち自律的刑罰権をもたないのです。
     この点では、警察や海上保安庁と同じ、一般行政機関なのです。
     また憲法にその存在を規定されていない点でも、警察や消防組織、もっと言えば農林水産省や文科省などと同様の行政機関であると言えます。
     だから軍隊かどうかといえば、外形的には軍隊ですが、法制的・実質的には軍隊でないと言えるでしょう。

     

    自衛隊が軍隊でないといえる理由

     いま、法制的にだけではなく、実質的にも軍隊ではないと述べましたが、これは「国際紛争を武力で解決する手段」としての軍隊ではないと言う意味です。
     軍法会議がなければどうしてそう言えるのか、それを説明します。
     簡単に言えば、軍法会議のない組織は、外征戦争に耐えられないからです。
     国際紛争を武力で解決するには、相手国の策源地を攻撃して軍事力や生産力を破砕する必要があると前回書きました。
     それをする能力が、外征能力です。
     しかし自衛隊にはその装備がないばかりか、そういう任務が果たせる組織になっていないのです。

     自国防衛にあたっては勇敢で精強な軍隊が、国境線を越えたとたんに弱兵の集団に変身してしまう例は、古今東西、数限りなく存在します。
     それはどうしてかと言えば、自国防衛は兵士の個人的動機と一致しているからです。
     祖国防衛は個人の利益と一致しているので、兵士の自発的意志で充分戦えるのです。
     自衛を目的としている限りは、過酷な軍律による強制は必要ないというのが、歴史の経験則から導き出される結論です。
     これは直感としても納得できることでしょう。
     しかし外征戦争には兵士の個人的動機がないので、軍律による強制が不可欠なのです。
     軍律裁判所も憲兵ももたない自衛隊は、すなわち自国防衛にしか使えない戦力であって、これこそ憲法第九条1項の目的にふさわしい戦力と言えるでしょう。
     それゆえ、自衛隊は憲法第九条2項の禁じる「陸海空軍隊その他の戦力」にはあてはまらないと言えるのです。

     では軍法と軍法会議(軍律裁判所)さえなければ憲法第九条に違反しないのでしょうか。
     そんなことはありません。
     いま書いたのはあくまで一般原則です。
     その戦略、編成、装備・運用などさまざまな面で、自衛隊が脱法的存在にいたらぬよう、私たちはこの国の主権者として監視しなければなりません。
     いまの自衛隊はどうかと問われれば、その一部は極めて違憲の疑いが濃いと言わざるを得ません。
     その具体的内容は多岐にわたるのでここで触れる余裕がないけれども、いずれまた機会があるごとに言及することになるでしょう。.

     ともあれ以上で第二項の前半部について語ったことになります。
     つぎは交戦権の否認について語ります。

     

     

    憲法第九条2項(3)

    交戦権の否認とは何か

     交戦権とは、平たくいえば、「戦う権利」です。
    「戦時国際法により交戦国に認められる諸権利のこと」
     という定義もあります。
     憲法はこれを認めないというのですが、それはもちろん「前項の目的を達するため」です。
     第一項にある「国際紛争を解決する手段」としての交戦権、これを認めないというのです。
     国際紛争を解決するための武力行使と、自衛のための武力行使の違いはすでに説明しました。
     当然、自衛のための交戦権は否定されていないのです。
     本来ならばこれで説明は終わりなのですが、終われない理由があります。
     自民党政府が、これまでとんでもない説明をしてきたからです。

     

     

    憲法第九条2項(4)

    自民党政府のトンデモ説明

     政府答弁では、憲法が否認している交戦権とは、つぎの事項です。

    1.相手国兵力の殺傷及び破壊
    2.相手国の領土の占領、そこにおける占領行政
    3.中立国船舶の臨検、敵性船舶のだ捕等
    (1981年4月14日、鈴木善幸総理の答弁書)

     2は論外としても、1と3ができないのでは、戦えないではありませんか。
     これでは自衛権をもち、自衛戦力を保持していても、何にもなりません。
     政府は自衛隊に何をさせたかったのでしょうか。
     侵略軍が国土を踏みにじり、国民をなぶり殺しにしていても、自衛隊は指をくわえて見ていろと言うのでしょうか。
     政府の解釈に従ったら、できるのはせいぜい警察官職務執行法の範囲で敵兵を「取り締まる」ことぐらいしかありませんが、軍隊を相手にそんなことができようとは思えません。

     これは不合理なので、政府はまたも変なことを言います。

    「自衛のための武力行使は、交戦ではない。」
    「自衛のための武力行使は交戦ではなく、自衛行動権の行使である。」

     ????
     では自衛行動権を行使する自衛隊は、交戦しないのだから「相手国兵力の殺傷及び破壊」などを行わないのでしょうか。
     自衛行動と交戦のちがいを国会で質問されて、こう答弁しています。

    「国際法の上から見れば、それはやはり普通の交戦国がやることとだいたい似たようなことをやる。」
    「捕虜の取り扱いとか、市民に対する扱いとか、害敵手段の制約とか」については、「戦時国際法が適用される。」
    (真田秀央・内閣法制局長官=1978年8月16日)

     普通の交戦国がやることは、やるのです。
     戦時国際法も適用されるのです。
     戦時国際法とは、交戦時の国際法です。
     交戦するにあたって適用される戦時国際法が適用されるのに、交戦しているのではないというのが、政府の説明です。
     国際法的には交戦だが、憲法的には交戦ではない。
     こんな説明に納得される読者はおられるでしょうか。
     言い方を変えただけじゃないのかと、どなたも思われるでしょう。
     これで国会を乗り切ったのだから、野党議員も何を考えていたのでしょう。

     

     

    憲法第九条2項(5)

     どうして政府はこんなコンニャク問答でごまかそうとするのか。
     なぜ、つぎのようにすっきりと言えないのでしょうか。

    「憲法は国際紛争を解決するための交戦は否定している。」
    「自衛のための交戦は否定してはいない。」

     憲法を普通に読めばわかることなのに、政府がわざとひねくれた読み方をするのは、どうしてなのでしょうか。
     それは、事柄をややこしく混乱させることで、あたかも憲法に問題があるかのように装うためだと思います。

    「こんなにくだらない屁理屈をこねなければ、国の独立も国民の安全も守れない憲法なのだ。」
    「だから憲法は欠陥品なのだ。」

     このように主張するためなのです。
     こんな姑息極まりない改憲派の答弁と、自衛隊を何とか否定したい非武装中立論の国会議員のタッグによって、まるで憲法が欠陥品であるかのようなイメージが広まってしまいました。
     改憲派は、まともに運用したら国も守れない憲法であるかのように言います。
     非武装中立論者は、自衛隊は憲法違反の組織であると主張することによって、自らの意図に反して、「違憲の存在をなくせもしない無力な憲法」というイメージを作り上げることに貢献してしまいました。
     おかげで自衛隊は恐れられたり嫌われたり、バカにされたりと、散々な目にあわされてきました。

     私は入隊したとき、機会あるごとに「君たちは国防という崇高な任務に誇りを持て」と教育されましたが、国内がこんな環境ですから、その言葉が今ひとつ胸に落ちませんでした。
     ところがあるとき、一人の幹部の訓辞を聞いて、すとんと胸に落ちたのです。
     それは横須賀(少年工科学校の所在地)で反戦デモが行われるので、外出禁止が通告されたときのことであったと記憶しています。
     その幹部はこう語りました。

    「国民の中には自衛隊に反対し、その存在を認めない意見もある。しかし諸君はそういう意見を述べる国民をも、命を懸けて守るのが使命である。諸君の任務は、国民が我々を否定することもできる、自由な社会を防衛することである。ゆえに、我々の任務は重く、崇高なのである。」

     自衛隊の任務とはこういうものであると、いまも私は信じています。
     そしていま私は、自衛隊を否定する非武装中立論の方々の存在意義も、認めています。
     意見としては間違っていると思いますが、そのあくなき理想主義によって、改憲派と果敢にたたかって憲法を護ってきた業績を否定できないからです。
     けれどもいずれ改憲派を完膚無きまでに滅ぼした暁には、その間違った意見を改めていただくべく尽力しようと思います(笑
     その日が早く来ればいいのですが、まだしばらくは到来しそうもありませんねえ。


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      泥憲和さんの遺作「うたえ!カナリア〜時代の危機を伝えよう〜」

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        okabyです。

        一昨日の通夜に続き昨日の泥憲和さんの告別式に参列し、
        3日連続になるけど、本日の第39回憲法を守るはりま集会(姫路憲法集会)にも参加しました。
        泥憲和さんの遺作スライド「うたえ!カナリア〜時代の危機を伝えよう〜」の朗読があり、
        泥さん起案のアピールも採択されるならば、やっぱり行かないと。
        メインは松元ヒロさんのトークライブも1年ぶりに観劇できました。
        アピールは主催者から週明けにもネット上でも公開できるかと思いますが、
        いち早く、泥さんの遺作スライド朗読がYouTubeに公開されましたので、ご紹介します。
        ツイキャスでも映像が公開されています。(23分ぐらいから)
        http://twitcasting.tv/izuta_kaoru/movie/369827316
        こちらはスライドは見えにくいですが、ナレーションを聴くだけでも、泥さんのセンスがよくわかりますし、
        朗読後に主催者から泥さんへの追悼を兼ねた紹介もあります。
        いまでは全国行脚してネット上でも伝説の人になっている泥さんですが、
        無名の時から亡くなる直前まで、地元姫路では運動の裏方として重要な役割を担っていたことが知れます。
        集会の最後では、3人のご子息も登壇し、泥さんの遺影を掲げて、
        荒木栄作曲の『花をおくろう』が合唱されました。
        この歌は、泥さんを送る仲間の方の気持ちがとてもこもった曲でした。
        吹雪の夜を歩いてきた
        ぬかるみを飛び越えてきた
        日照りにたたかれて来た 嵐の夜を走ってきた
        手を取り合って歩いてきた

        節くれ立った荒れた手に
        故郷を創る仲間の手から
        花を送ろう オレンジの
        (歌詞引用元 http://bunbun.boo.jp/okera/v_araki/hanawookurou.htm)

        化学兵器用薬物がインターネットで買える恐怖

        0

          カルフェンタニルは化学兵器禁止条約の指定薬物です。
           モルヒネの1万倍も強力な神経毒で、鎮痛剤として用いられることもありますが、化学兵器に転用も可能だからです。
           これがインターネットの通販で簡単に買えるというから驚きです。


           戦場での使用が禁止されているカルフェンタニルですが、他の用途は禁じられていません。
           1997年、イスラエルの情報機関モサドがヨルダンのイスラム組織ハマスの幹部を暗殺しようとして失敗した事件で、カルフェンタニルが用いられました。
           2002年、チェチェン独立過激派がモスクワの劇場を襲撃した時、ロシア軍が犯人を排除するためにカルフェンタニルを精製した毒ガスを用いたため、人質129人が死亡しました。
          http://edition.cnn.com/2002/WORLD/europe/10/30/moscow.gas/

           これほど危険な薬物を、中国の薬品会社からインターネットで簡単に買えます。
           アメリカ政府は中国に製造及び販売の取締を求めていますが、中国政府の動きが鈍いといいます。.
           アメリカが懸念しているのは、カルフェンタニルをイスラム国のような組織が兵器に転用する危険です。
           簡単に入手できるのだからありうる話です。

           ★参考情報
           ISISがシリア反政府軍を化学兵器で攻撃したニュース
          http://www.iraqinews.com/arab-world-news/isis-shells-sdf-headquarters-chemical-weapons/

           中国政府は昨年10月にカルフェンタニルとその変異体の製造を禁止しましたが、まだ7社が販売しており、なんと「お届けは国営中国郵便急行配達のメール便がお勧めです」と宣伝しているそうです。
           中国は広く、化学薬品工場はとてつもなくあるので、とても規制しきれないというのですが…。

           米軍情報サイト「ミリタリー・コム」のニュースが報じています。
          http://www.military.com/daily-news/2016/10/07/chemical-weapon-sale-china-unregulated-narcotic.html
           


          この世の地獄

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            シリア
            仏の決議案を8日採決へ 停戦と空爆停止 安保理
            http://mainichi.jp/articles/20161008/k00/00e/030/236000c

             フランスがシリア北部アレッポでの即時空爆停止と軍用飛行機の飛行禁止を提案するそうです。
             ロシアが拒否権を発動するに決まってます。
             仮に西側が独自に飛行禁止区域を設定しても、そんなものをいまさらロシアが守るはずもなく、仮にシリア空軍が飛行禁止空域を飛んだとしても、ロシアと直接対決したくない西側は手を出せないと思います。
             フランスは善意の第三者を装っているだけ。ただのパフォーマンスです。
            .
             いまのまま戦乱が続いたら、たる爆弾で無差別に空爆されるシリアの民衆はたまりません。
             仮に空爆が功を奏して反政府勢力が敗れ、そのせいでラッカのイスラム国が生き延びたら、シリアの民衆にとって恐怖です。
             シリア政府がアレッポを奪還すると、おそらく住民虐殺を始めます。
             それは、イスラム国の支配よりも恐ろしいことです。
             シリア政府を打ち負かさなければ、シリア民衆に良いことはひとつもありません。
             でもバックにロシアがついている限り、その方法がないのです。
            .
             ロシアは西側主導の秩序をひっくり返したいだけであって、あの地域を安定させる力もなければ信望もありません。その気もないでしょう。
             民間人を何人巻き添えにしてもお構いなしに空爆したロシアのやり方で、ISはたしかに痛めつけられました。
             戦争は野蛮な方が強い。けれども、野蛮なだけでは秩序ある平和が作れません。
             ロシアは久々に大国の貫録を示せて大満足かもしれません。
             そのせいでシリアの民衆は希望を奪い去られるのです。
            .
             仮に革命勢力が力をつけてシリア政府軍を撃退できたとしても、統一性のない革命勢力は互いに殺し合いを始めることでしょう。
             あつちについたといっては住民を処刑し、こっちについたといっては拷問して殺す。
             どう転んでも力のない民衆は暴力にさらされて逃げ惑うしかない。いや逃げる場所さえ閉ざされつつあります。
             この世の地獄とはシリアのようなことをいうのではないでしょうか。

             


            海上保安庁の強化が必要です

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              韓国沖で不法操業していた中国漁船が、取り締まりの韓国海洋警察の艦艇に体当たりして沈めて逃走したそうです。
              http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161010-00025356-hankyoreh-kr
              .
               中国漁民の意識は完全に帝国主義国のそれですね。
               国家が帝国主義的だと国民精神も鼓舞されて帝国主義的に傲慢になるのは、大日本帝国と帝国臣民の関係を見れば明らかです。
              .
               韓国の漁業水域は中国のそれと接触しており、漁船が狭い所にひしめいていて魚を取り合っているので、こういうことが起きやすい。
               一度なめられると、行動はさらにエスカレートします。
               韓国は頭の痛い事でしょう。
              .
               日本の海は中国から遠いし、そこまで出て来られる漁船なら太平洋にも出て行けるため、日本側官権と対立してまで密漁を強行しない。そこでこうしたトラブルが起きにくいと思いますが、しかしうかうかしていられません。
               日本側が弱腰だと、遠い太平洋に出て行くより近場の日本の海域で漁をした方が安上がりだという程度の理由で違法操業に乗り出してくる漁船が増えて、手に負えなくなる可能性があります。
               相手に合わせて日本が戦闘的になる必要はありませんが、宥和的なばかりが能ではないです。
               海洋の国境管理を強化すべきだと思います。

               

              道徳教育について

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                かもがわ出版発行『道徳教科書』
                http://www.kamogawa.co.jp/~hensyutyo_bouken/?p=2559

                【道徳って何だろう】

                ◆道徳心は進化の産物

                 むやみな暴力はいけないとか、ズルはよくないとかいう考え方は、どんな人類社会にも共通した道徳律です。
                 私たちは自己中心的なズルや激しい暴力に対して嫌悪感を覚えます。.
                 こういう情動は、もとは自己保存本能しかもたなtかった生物が進化の中で身に付けたものです。
                .
                 厳しい自然環境の中、共同体のみんなが生き残るためには平等なシェアが不可欠でした。
                 わがままやズルが許されないギリギリの生存条件の中で長く生きてきた人類は、社会のためにズルを規制しよう、個人的なわがままを制限しよう、こういう心理を発達させてきました。
                 過度な自己中心性やズル、さらには暴力でわがままを押し通す行為に嫌悪感を抱く心理は、進化の中でDNAに刻み込まれました。
                .
                ◆犠牲的精神は高度な道徳

                 社会的秩序のために強者も自己抑制する文化は高等な霊長類にすでにみられるところから、何百万年もの適者生存の歴史の中で進化論的に身に付けてきた形質であるのは間違いないと考えられています。
                 人類はそこをもっと発達させて、自己犠牲精神も身に付けています。
                 わが子のために親が自己犠牲を払うのはもっと下等な動物にも見られますが、その本能を人類は社会的な行動にまで進化させたのです。
                 得にもならないのに社会のために身を粉にして奮闘するボランティア精神が典型的です。
                 そのような道徳心が未発達な共同体は生き残れなかったので、現在生き残っている共同体はどこも同じような道徳律を内包しています。
                .
                ◆私たちの心は部族社会のまま

                 しかしジコチュー精神を根絶するには至っていません。
                 共同体にはズルを気に留めない個体や、ジコチューでズルをする個体も一緒に住んでおり、ズルを許さない共同体が生き残ると、彼らも一緒に生き残るからです。
                 ジコチューミームは健在です。わがまま傾向や暴力衝動が誰の心の中にもあります。違いは傾向の大小です。
                .
                 政治家や経営者など社会的上位に位置する個体は、大脳の中でも権力欲や支配欲といった部分をつかさどる部分(トカゲの脳といわれています)が発達しているそうです。
                 そういう個体は、自分は自己本位なのに、他人には自己犠牲精神を求めます。それが自分にとって最大の利得になるからです。
                 こういうのはズルなのですが、このような新しい形のズルに、私たちの本能はいまだ対応していません。
                 生活保護をだまし取るといったもっと単純なズルだったら情動が刺激されて無性に腹が立つのに、経済システムを通じて他人の得るべき利得を盗み取るような複雑なズルにはだまされやすいのです。
                 私たちの心は、社会構造が単純だった部族社会のままなのです。
                .
                ◆道徳教育を利用するジコチュー精神

                 社会から富を盗み取っているくせに自分は社会に貢献しようとする意志の弱いジコチュー精神が当たり前になると、その社会は不安定になります。
                 そういったズルに本能センサーの警戒が追い付いていないなら、本能を補う理性の働きが求められます。
                 そういう意味で、道徳的社会教育は不可欠です。
                .
                 ところが政府が道徳を声高に言う時、じつは社会的上位にいる者の利益のためにみんなに犠牲的精神や自己抑制を求めているのかも知れないのは、先に述べたとおりです。
                 世のため人のために個人の欲得を抑えなさい、果てはみんなのために生命さえ投げ出しなさいというのは、それが純粋に共同体のために出た言葉なら納得できるのですが、そうでない場合がしばしばなので、警戒してしまいます。
                .
                ◆本当に必要な道徳教育とは

                 道徳を全部否定する考え方や、共同体の存在を全否定して社会は個人の総和だとする考え方は、生物としてのヒトの本能的倫理観にそぐわないと思います。
                 共同体のための自己抑制や犠牲的精神は、私たちの心に住みついた本性のひとつです。同時に公正や正義を求めるのも本能です。
                 巧妙なズルをみんなの力で抑え込むために必要な社会的道徳教育とはどんなものか、その答えはまだありません。
                 私たち自身が見出していくしかないものだと思います。
                 


                道徳の授業 小学校

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                  高学年用道徳教材

                  まさる君の学校では、毎年一人暮らしのお年寄りにはち植えの花をプレゼントします。まさる君の今年の担当は山田すずさんというおばあさんです。まさる君は、はりきって、自分の育てた花をおばあさんの家まで運びました。でも、おばあさんは、「足が不自由で花の世話ができないから。」と言って、花を受け取ってくれません。まさる君はどうすべきですか?



                  先生「まさる君は鉢植えをそのままおばあさんちに置いてこなくてはなりません」

                  生徒「え〜っ、どうしてですかあ?」

                  先生「決まった家に鉢植えを届けるのが学校の決まりだからです」

                  生徒「でもおばあさんは足が痛いのにぃ」

                  先生「おばあさんの都合は学校に関係ありません」

                  生徒「水やりしててこけたら、かわいそうです」

                  先生「こけるのはおばあさんの自己責任です」



                  生徒「おばあさんが入院したら、お花が枯れちゃうかも」

                  先生「お花のことはどうでもいいです」

                  生徒「なんでですかあ?」

                  先生「お花に人権はありませんから。植物のことまで考えていたら道徳の授業が成り立ちません」

                  生徒「何いってるのかむずかしくてわかりません」

                  先生「お花がかわいそうなんて言ってたらいちじくを食べられなくなります。お米だってそうです」



                  生徒「ぶーっ、ぶーっ」

                  先生「気に入らないんですか?」

                  生徒「はーい」

                  先生「では特別に、鉢植えを学校に持ち帰ってもいいことにします」

                  生徒「やったー」

                  先生「でも、このことは校長先生にナイショです」

                  生徒「どうしてですかあ?」

                  先生「学校の決まりを破ることになるからです」

                  生徒「先生、決まりを変えればいいと思います」

                  先生「それはできません」

                  生徒「ええ〜っ?」

                  先生「先生は非常勤なので正規の先生と同じことをしなくてはクビになります。正規の先生は校長先生のいいつけを守らなくてはなりません。校長先生は先生用の学習教材にないことはしません。教育委員会にチクられたら困るからです。学習教材には、鉢植えを学校に持ち帰ってもよいと書いてありません。鉢植えを持ち帰らせたことがバレたら先生は生きていけなくなります」

                  生徒「はあ〜っ、大人になんかなりたくねー」



                  先生「では、学校に持ち帰ったらいいと思う人」

                  生徒「はーい」

                  先生「おや、全員ですか」

                  生徒「だっていろいろめんどくさそうだから、自分で育てるのが楽だよ」

                  先生「みんなが同じことをしたらバレてしまうじゃないですか」

                  生徒「先生のことは生徒に関係ないもん」

                  生徒「バレても先生の自己責任だと思います」

                  生徒「先生のことまでいちいち考えてたら勉強できません」

                  先生「素晴らしい!それでこそ新しい時代の子どもです。100点満点です」

                  生徒「やったー!」

                  生徒「でもつまんねえ道徳だなあ」

                  先生「まあ、これが学校教育です」
                   


                  【中国公船の領海侵入】◆事を荒立てている中国

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                    【中国公船の領海侵入】◆事を荒立てている中国
                     中国の外相が語りました。
                     「東シナ海の報道は大げさだ」
                     
                     私もその見方に同意します。
                     中国の公船が領海に入ったのならまだしも、領海の外の接続水域やEEZ海域で活動し
                    たぐらいであたかも違法行為であるかのような報道は大げさでしょう。
                     中国漁船が禁漁期間明けに一斉に出航するのは夏から秋にかけての風物詩であり毎年
                    のことなのに、あたかも尖閣を狙った意図的行動であるかのように書くのも情報操作だ
                    と思います。
                     しかしながら、中国側から事を荒立てているのも否定できない事実です。 
                     中国公船は日本領海に無断で入ってうろついています。
                     なぜそうするのか。
                     かなり以前の中国紙・新京報の報道によれば、中国の国家海洋局海監総隊の孫書賢副
                    隊長は、領有権の争いがある海域では国際法上「実効支配」の実績が重要だとの認識を
                    示した上で「中国も(主張するだけでなく)管轄海域内で存在感を示し、有効な管轄を
                    実現しなければならない」と語っています。
                     日本領海に入るのは、管轄権の既成事実を積み上げるのが目的なのだと。
                     無害通航権を認めた国際海洋法条約をたてに合法行為を装っているけれど、実際はそ
                    こを中国の海にするのが目的なのです。
                     これが中国の本音なら、中国が海上警察の力をもっと整備したあかつきには、もっと
                    大胆に、もっと大規模な侵入を既成事実化してしまい、いずれは本当に中国の海になっ
                    てしまうのではないかと不安に駆られる国民が増えるのも、無理はありません。
                     
                    ◆大日本帝国に似てきた中国
                     尖閣みたいな小島なんかどうでもいいじゃないかという意見もありますが、そうやっ
                    て妥協したら事が片付くと思ったら大間違いです。
                     つぎは沖ノ鳥島、つぎは漁業権問題、つぎはEEZの拡張と、切りのないことになりま
                    す。
                     根拠のない見方ではありません。
                     南シナ海における中国の行動を振り返りましょう。
                     他国の領土に勝手に居座ったらてこでも動かず、既成事実を積み上げたあげくに軍事
                    力で片を付け、そこを軍事拠点化するやもっと遠くに進出して同じことをやる。
                     軍事的意図はない、民間施設を建設しているのだ、大げさに騒ぐなと言っていたのに
                    、空港が完成したら戦闘機を配備する。
                     基地を作るとそこに武装した公船を配備し、他国の漁船を追い出したり沈めたりとや
                    りたい放題。
                     国際司法裁判所の判決など歯牙にもかけない。
                     
                     これでは隙あらば東シナ海も…と疑われても仕方がないと思います。
                     中国はいまや世界第二位の強大な軍事力を誇っており、超大国としての万能感に憑り
                    つかれているようです。
                     まるで日露戦争以後の大日本帝国です。
                     1930年代の国際社会は、おごり高ぶる大日本帝国をどうにもできませんでした。
                     しかし現代の国際秩序は1930年代と異なります。
                     日本は分裂し衰退していた、そのころの中国のような国ではありません。
                     中国が何を画策しているにしろ、うまくいくとは思えません。
                     うまくいかないにしても、中国が何かを勘違いして軍事行動に着手すれば、双方が大
                    きな痛手をこうむります。
                     そんな未来は誰も望みません。
                     さしあたり中国に最初の一歩を踏み出させないことが肝要です。
                    ◆現実的かつ平和主義的な安全保障政策が必要
                     
                     中国の不当な主張をキッパリとはねのけて、国境警備(警察権の行使)の段階で日本の
                    主権を確固として守ること。そうしなければ中国の肥大化した野心を食い止められなく
                    なります。
                     コメント欄で須永さんが書いている通り、海上保安庁の監視及び取締能力を強化する
                    ことが必要でしょう。ミサイル防衛なんかよりこちらの方がよほど重要です。
                     同時に中国の行動を奇貨とした自民党の反民主主義的軍事強化路線に対抗していくこ
                    と。そうしなければいずれは東シナ海で両国がぶつかりかねません。
                     中国に妥協することも、自民党に権力を預け続けることも間違いなのです。
                     そういった野党運動をどうにかして作り出さなければ、東アジアに大きな悲劇が待っ
                    ていそうに思えます。
                     難しい道ですが、その道しかないならそこを歩むしかありません。

                    https://www.facebook.com/norikadzu.doro/posts/683590278458473?pnref=story
                     

                    【南シナ海問題 国際司法裁判所の判決と中国の立場】◆関係国の主張はすれ違い

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                      【南シナ海問題 国際司法裁判所の判決と中国の立場】
                      ◆関係国の主張はすれ違い
                       国際司法裁判所の判決に木で鼻をくくったような対応しかしない中国には失望します

                       しかし同時に、中国の言い分(立場)について日本国内でろくな報道がない事にも危険
                      なものを感じます。
                       中国はどんな法的立場に立っており、なぜ判決を無視するのか、そこを解説した記事
                      にお目にかかったことがないので、ここで簡単に書いておきます。
                       まず、関係国がどういう法的根拠で領土主張をしているかを見ておきます。
                       まったく噛み合わないのです。
                      ◆前史
                       南シナ海の島々をかつて支配していたのはフランスで、植民地ベトナムの一地方とし
                      て編入していました。
                       フランス人を追い出してそこを奪ったのは大日本帝国で、植民地台湾の一地方として
                      高雄市に編入しました。
                       帝国日本は敗れ、領有権を放棄しました。しかし新たな帰属先は明文化されませんで
                      した。
                       これが問題の発端でした。
                      ◆台湾の主張
                       台湾は、そこは高雄市なのだから、台湾が独立を回復した時点で主権が日本から台湾
                      に移ったと主張しています。
                       一理あると思います。
                       そして台湾は太平島などを実効支配して軍事基地を置いています。
                       ほかの旧日本領の島々も自分のものだと主張していますが、実力行使はしていません

                      ◆中国の主張
                       中国は、ひそかに台湾の立場を継承しています。中国はひとつなのだから、台湾のも
                      のは自分のものという理屈です。
                       なぜ「ひそかに」なのか。
                       南シナ海が日本領土になったのは大日本帝国の侵略行為の結果だからです。
                       旧日本領を継承するというには、大日本帝国の侵略と植民地支配が、国際法的に正当
                      なものであったと認める必要が生じます。「不当な支配」だったら、その支配権を継承
                      するのは論理矛盾です。
                       人民解放戦争で帝国主義を打倒したことを建国の大義名分に掲げている中国としては
                      、この立場はとりにくい。
                       そこで、表向きの言い分はこうです。
                       もともとそこは中国のもので、フランスや日本に奪われていたのを取り戻したのだと

                       しかしこの主張には、歴史的・法的裏付けがありません。
                      ◆ベトナムの主張
                       帝国日本が敗れた時点で、日本の国内措置に過ぎない高雄市編入は無効となった。
                       そして領有権を放棄したのだから、島々は前の持ち主であるフランスのものになった

                       いまは、フランスを追い出して主権を回復したベトナム人民のものである。
                       この主張は一貫しており矛盾がないと思います。
                      ◆フィリピンの主張
                       フィリピンは領有の歴史的根拠を持ちません。フィリピンの宗主国だったスペインも
                      アメリカも南シナ海を支配した実績を持ちません。
                       フィリピンの言い分はこうです。
                       日本が領有権を放棄し、新たな帰属先が決まっていないのだから、島々は無主の地に
                      なった。
                       国連海洋法条約で200海里の権利が認められて以後、フィリピン本土から200海里以内
                      の島々は国際法に基づいて我々の主権が及ぶことになった。
                       フィリピンの主張も一貫していて矛盾がありません。
                      ◆国際司法裁判所の判決
                       フィリピンは先に書いた通り国際海洋法条約に基づいた主張をしており、その立場か
                      ら国際司法裁判所に提訴しました。
                       これに対する中国の言い分は、国際海洋法条約は認めるにしても、もとから中国の領
                      土である島々が200海里条項の対象であるはずがないというものです。
                       「200海里条項は他国の領土に及ばない」という解釈は、これはその通りです。
                       問題は「もとから中国のもの」という部分です。
                       「日本の旧領土の支配権を継承した」というなら、そこには一定の法的な正当性があ
                      ります。
                       法廷で充分にたたかえたでしょう。
                       しかし前述のとおり、中国にはそのようにいえない政治的事情があります。自縄自縛
                      ですね。
                       すると中国には、大昔から自分のものだったという、説得力のない言い分しか残され
                      ていません。これでは勝てないというのは中國にも分かっています。
                       現状として島々を実効支配しているのは中国なのに、国際法廷に出て行ったら、せっ
                      かくの支配の実績がゼロにされて、フィリピンとイーブンの立場に立つことになり、法
                      的に怪しい主張でたたかうしかない。
                       そんなバカバカしい裁判に乗れるかというのが中国の立場です。
                       一方、国際司法裁判所としては、中国が出て来ない以上はフィリピン政府の土俵で審
                      理することになります。
                       すると、国際海洋法条約は200海里の権利を認めているという当たり前の判決しか下
                      せません。
                       大昔から中国のものだったという主張に根拠がないと切って捨てるのも、当然です。
                       フィリピンの完勝というのは、こういう枠組みの中での話です。中国もこうなること
                      を百も承知でしょう。
                       中国は
                       「領土問題は棚上げにしようという二国間合意を破ったのはフィリピンのくせに、正
                      義面して何を言うか、こっちが正当な主張をしたくても出来ない事情を知ってて、汚い
                      手を使いやがる」
                      と腹を立てていることでしょう。
                       中国としては、自分たちは政治的な立場から主張を手控えているだけであって、法的
                      に負けたとは思っていません。
                       なので、国際的な不利は承知のうえで、判決の前提それ自体が成立していないという
                      立場から、無視を決め込むしかないのです。
                      ◆南シナ海と尖閣諸島
                       中国だってなにもやらずぶったくりみたいなことをしているのではなく、それなりに
                      正当性の論理を持っているのですが、それを公に口に出来なくて苦慮しているのです。
                       ところで尖閣諸島についてはどうでしょう。
                       こちらについては大日本帝国の侵略により不当に奪われたものを取り戻すのだと堂々
                      と主張できます。
                       現にそうしています。
                       しかし「奪われた」というからには、帝国日本が編入する以前から中国領土だったこ
                      とを明らかに出来なければなりません。
                       それが出来ないのは、南シナ海と同じことです。
                       薄弱な歴史的根拠をもってしては国際社会を説得できないことが、フィリピンのおか
                      げで中国によく伝わりました。
                       軍隊を送り込んで我が物にしてしまうというようなことは、よほど日本が間抜けでな
                      い限りはもう出来ないと思います。
                       間抜けな行為とはたとえば、安倍内閣成立直後のような無用の対決姿勢をとることで
                      す。
                       そのことで公海で武力衝突に至り、「偶発的な衝突」という口実を相手に与えるよう
                      なことです。
                       いったん衝突して実力で日本側が蹴散らされでもしたら、中国はこれ幸いと「どっち
                      もどっち」の印象を振りまくとともに、
                      「東シナ海に平和的安定を取り戻して日中双方の漁民の安全を守り、日本の乱暴な挑発
                      による不幸な偶発的衝突を回避するための互恵的で自衛的な保安措置として、中国海上
                      警察の艦船を尖閣に配置する」などという口実で居座りかねません。
                       これをやられたら、今度は中国を追い出そうとする日本側の正当な措置を、「安定し
                      た現状を一方的に変更する好戦的行為」と見かねないのが国際社会の限界です。
                        
                       日本は、海上保安庁の警察力で海上管轄権をしっかり守ると同時に、「偶発的な衝突
                      」の口実を与えないために、いたずらに対決姿勢を見せて挑発しない姿勢が求められま
                      す。
                       さて自民党政府にそうした自制が可能かどうか、極めて疑わしいというのが私の見方
                      です。

                      https://www.facebook.com/norikadzu.doro/posts/683893201761514?pnref=story
                       


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