サンテレビニュースPORT(2018/2/1) 阪神・淡路大震災23年 母と兄を亡くした女性の思い
永岡です、サンテレビのニュースPORT、阪神・淡路大震災23年特集、1月17日に追悼行事の行われ
た東遊園地に多くの方が祈りを捧げて、震災後の火災で母と兄を亡くした納みよしさん(80歳)もその一
人、納さんにとって東遊園地は母と兄に会える場所で、まだ二人の死を受け入れられず納さんがどんな気
持ちで1月17日を迎えたかが報じられました。
冷たい雨の降った今年の1月17日、納さん、母と兄に会えるというもので、しかし今年の東遊園地への
歩みには特別なものがあり、納さん夫婦は須磨に住まわれて、震災の4日後の火災で母と兄を亡くしたもの
で、写真も残っていない、何か一つあったら思い出せるのに、何もないもので、母は料理が好きで、それ
くらいしか思い出されず、95年1月17日、阪神・淡路大震災、6400人以上亡くなり、納さんは被災して、
大阪の親戚の家に避難して、兄はその際に玄関まで送ってくれて、あれが最後の兄の言葉であり、母と兄
は揺れでは助かったものの、その後の漏電火災で帰らぬ人になり、一生後悔するもので、99年から毎年、
震災の犠牲者の追悼行事の行われる東遊園地、1月17日には、納さんは長らく東遊園地に行けず、10年か
かってやっと行けるようになり、23.年経ち、まだ思い出すのがつらいもので、現実を直視できないもので
あり、納さん、13回目の集いの参加となる今年は、例年と異なり、今年が最後の思いがあり、80歳でもう
限界、行けるときに行く、1年ぶりの東遊園地、雨の中、竹灯籠に手を合わせられて、ロウソクに火をとも
して、母と兄に祈り、5時46分を迎えて、そして空が明るくなったころ、二人の名前のある慰霊と復興のモ
ニュメントを訪れて、納さん泣き崩れて、母と兄の名前の銘板に触れて、ここに来たら会えると涙を流さ
れて、現実に亡くなった意味をかみしめて、納さんにとって、銘板の名前は大切な生きた証であり、納さ
んは23年で区切ろうと思っていたが、思いは断ち切れず、生き続けると語られて、大好きだった母と兄に
会える1月17日、納さんは来年も東遊園地に来るもので、今年の1月17日は多くの方が来られて、犠牲者
の数だけ思いがあり、納さんは1月だと塞ぎ、他方お孫さんも生まれたもので、明日に向かって生きるので
す。
私(永岡)も叔母を震災で亡くし、私の母も、毎年1月と8月が嫌(8月は敗戦)と今でも語り、阪神・淡
路大震災は終わっていないのです、以上、ニュースPORTの内容でした。
- 2018.02.01 Thursday
- テレビ・ラジオ情報
- 23:42
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- by 市民社会フォーラム