TBSラジオ 荻上チキSession-22(2018/3/12) 崎山敏也 福島第一原発事故から7年、楢葉町の報告
永岡です、昨夜の、TBSラジオの、荻上チキSession-22、福島第一原発事故から7年、原発取材のスペシャリスト、崎山敏也さんの報告がありました。TBSクラウドで公開されています。
https://radiocloud.jp/archive/ss954/
メインセッション、取材報告モード、福島県楢葉町の住民が身を寄せた仮設住宅が閉鎖、楢葉町は全村が20km圏、政府は2015年に避難指示解除、今月で仮設住宅の無償提供中止、そして、福島第一原発事故の取材も崎山さんされて、核事故で避難指示が問答無用に出た南端で、いわき市などの仮設住宅に行き、移染も進んだものの、避難指示でも何もなく戻れず、仮設住宅に住み続ける方、仮設住宅と自宅を行き来する方などあるものの、3月11日、福島はイノベーション構想、ロボット研究施設、復興五輪などというものの、行けばわかるが、電車に乗ったらピカピカのビルが車窓から見えて、しかし企業のもので、一般住民には関係なく、楢葉町にビジネスホテルでも、プレハブのもの、午前4時半に朝食開始、崎山さん以外はみんな6時に現場に行く、住民の帰還率は、実態と乖離があり、普通の生活も成り立たず、楢葉町も数年崎山さん取材されて、仮設住宅提供は今月で終わり、大分前から言われて、引っ越しも高齢者だと無理、楢葉町に元あったところも、補修など手が足りず、今月末までに修理は無理、仮設住宅から出られない方もあり、苦しい、選択の難しい人もあり、仮設住宅から強制退去、借り上げ住宅も有償で、家の修理の終わらない方も、別の借り上げ住宅に2回3回と引っ越し、引っ越し代は自腹(手伝いはあり)、東電は賠償はしても、この中からしか支援しない。
東日本大震災7年の取材、崎山さん、3月10日にいわき市の仮設住宅、神戸のニュータウンみたいなところで、震災8か月で、仮設店舗ができて、鮮魚店など、楢葉町にあった魚屋さんを共同経営でくんちぇ広場、〇〇くださいの意味、これが6年半やっても、仮設から住民が少なくなり、閉店、しかし朝早くに客も並び、現地は大変で、バスを出してほしい、みんなに会えないなどの声で、仮設から引っ越しした方もあるなど、行った先の公営住宅に店舗、医院はあるのか、この日は鮮魚、刺身はあっても、雑貨はたくさん売れて閉店セール、そこに意外なお客さん、いわき市から来た方、大きな商業施設は車でないと来れず、子供の来られる場所にここはあり、仮設店舗がなくなり、近くの方も来て、楢葉町で魚屋さんをされた方、今後は未定、先は考えていない、6年半やり、3月で仮設住宅、店舗もなくなり、役に立てたと語るもので、様々な出会いもあり、惜しまれてやめることになり、商売で役に立った、6年半必死でやり、楢葉町の家は建て替えなど必要で、まだまだ大変。楢葉町でもお店をやりたい、食事のところと,惣菜、楢葉町の人全体と知り合えて、事故前は竜田地区のみしか知らず、これは収穫、新しい楢葉町になるが、半分の人しか戻らず、原発作業員とともに新生の楢葉町になる、今までの楢葉町と違い、町の人の利用する時間帯と、原発作業員の利用する時間帯も異なり、この仮設店舗が終わり、そして、楢葉町のビジネスホテルに泊まり、3月11日、お祭りをしていて、元楢葉南小学校、今は統合されて、祭りを崎山さん取材されて、子供たちに歓迎されて、千葉から来られた方も、小さなイベントが大きくなったのに驚き、料理の名人が手を振る舞い、これが良かったと崎山さん報告されて、野菜の供給も何とかなり、楢葉の料理、農業が課題で、しかし音楽などやり、楢葉の文化をする祭りで、午後は津波被害者の追悼行事、楢葉町で14人津波で亡くなり、町長が来て、東日本大震災、福島第一原発事故7年、ようやくここまで来た、インフラ整備は8割、教育、農業をどうするか、町民は3割しか帰らず、大変な模様で、崎山さん、楢葉町では33%しか、元々の住民登録のそれだけしか帰らず、仕事がいわき市の方もあり、3世代、祖父母は楢葉町、親子はいわき市の例もあり、町民の数だけで把握されるものではなく、教育、若者が少ない。
戻ってきた方に聞くと、隣近所、馴染みの人と住みたい、商店街も欲しいなどの声があり、コミュニティが崩壊、特に女性には打撃であり、お祭りもつながる場所のためであり、帰った地区により、おしゃべりできるところとそうでないところがあり、また、子供がいわき市で仕事の方もあり、楢葉町は自然が素晴らしいというもので、戻れない、戻っても課題、いわき市にいて、イベントのことを知らされていない、住民登録はまだの方もあり、イベントのお知らせは届かず、帰れない方もしんどく、楢葉町に週末だけ帰る手もあるものの、地域から離れた方への配慮は、東日本大震災、あるいは災害の課題。
楢葉町だけでなく、富岡町の男性、富岡町でもイベントをしてほしいと言われて、富岡町には子供がおらず、富岡町の復興はまだまだ、日常生活の戻り具合、富岡町は人口の数%しか戻らず、皆さん複雑な様子で、崎山さんそうして14時46分の黙禱をされました。町にサイレンが鳴り響き、浜通りで黙禱、イベントで騒ぐ後で黙禱、お祭りは9回目、息が合い、かえるの舞踊団が出て、楢葉を大合唱、ベリーダンス、ラップから様々なお祭りがあり、お祭りを続ける意味はあり、初めて会ったときはいわき市の飲み屋で知り合って企画、今回は町の広報に載り、関東から手伝う方もあり、これを楢葉町全体に広げるのは行政の力も入り、有名アーティストを呼ぶなど、ちぐはぐもあり、今後も課題である。
この日もやっていた、古本屋、岡田書店、アイドルの本もあり、2年半店を出されて、店をやってよかった、お客さんも来てくれて、近所の方、作業員も来て、仕事して楽しく、岡田さん、70年代の週刊誌、マンガを並べて、作業員は休憩中に読むマンガを買うもので、近所の方も、イラスト、縫い物の本、辞書を求める方もあり、様々なニーズに答える本、南相馬市から車で来た人もあり生活を支えるもので、崎山さん、イノベーション構想や復興五輪より、コミュニティを維持するものを、この古本屋さんが示していると言われて、政府の打ち出す復興の構想と、地元の住民の思いが違うものもあり、お祭りの中で14時46分のサイレンがあり、生活を取り戻す試みもあり、昔の楢葉になかったもの、元からあるもの、研究者、作業員の生活、古民家の再生を作業員の方も手伝うもので、コミュニティの継ぎ目が必要、崎山さん、岡田書店で、和久井映見さんの若いころの写真集をGETしたと言われました(笑)。
そしても福島第一原発事故のこと、リスナーより質問があり、以前はニュースになっていたが、使用済み核燃料のことを問うものがあり、崎山さん、使用済み核燃料の取り出しは4号機完了、3号機は今年開始、1,2号機は2021年から、瓦礫撤去に遠隔操作、しかし機器の設置は人間がやらざるを得ず、そして燃料デブリの処理はまったく目途が立たず、熔けた核燃料を遠隔カメラで見ても、詳細は全く不明で、核燃料の取り出しの後で、燃料デブリをどこに持って行くか全く決まっておらず、デブリの線量はまったく分からず、鉄を巻き込んでエライことで、機械が壊れる、作業員の被曝もあり、燃料デブリの取り出し方法はまだ決まっていない。技術、アイデアがどうか、ロボットの壊れることもあり、1,2,3号機からの燃料デブリ取り出しは、各機で異なり、廃炉作業は、汚染水対策、汚染水の発生は減り、井戸からの取り出しか、凍土壁か、しかし汚染水は無くなるわけではなく、使用済み核燃料の取り出しは徐々に進み、汚染水対策と、使用済み核燃料の取り出しの後に、本丸の燃料デブリの取り出しであり、核廃物の処置は何も決まらず、福島第一原発の構内は広く、双葉に中間貯蔵施設、30年の予定でも、土地は6割しか確保されず、地権者はルールをちゃんと守って欲しい、環境省は非常事態としてやられてしまい、将来災害時にまたやられて、これは調停を東京簡易裁判所に求めて、核廃物を、ルールを破り処理されるのはとんでもないことで、核廃物の処理は全く目途が立たず、特例ばかりで核は処置なしなのです、以上、崎山さんの報告でした。
- 2018.03.14 Wednesday
- テレビ・ラジオ情報
- 08:37
- comments(1)
- trackbacks(0)
- -
- -
- by 市民社会フォーラム