calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< August 2020 >>

categories

archives

カウンター

twitter

カレンダー

プラセンタ 効果

ランキング

2/17「お父さん、何でごめんなさいなの」 原発さえなければ 残された妻子、東電提訴へ【朝日新聞】

0
     若本です。

    「原発さえなければ」と遺書を書いて亡くなられた酪農家の遺族はどうなさっておられるのだろうかと、ずっと気になっておりましたが、東電を提訴されるそうです!
    そして、その記者会見が2/20(水)だそうです。
    http://wasurenai-fukushima.com/images/innner/press0220.pdf

    四ノ宮浩監督の「わすれない ふくしま」という映画でも取り上げられるそうです。
    http://wasurenai-fukushima.com/#donation
    福島県飯舘村の避難民であるひと家族とその知人で自殺した酪農家といまだに警戒区域で300頭の牛を飼い続けている酪農家の日常を追った記録です。
    映画は3月から4月にかけて、元町映画館や第七芸術劇場他全国でも上映されるとのこと。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

    朝日新聞(2013年02月17日)
    http://digital.asahi.com/articles/TKY201302160431.html

    「お父さん、何でごめんなさいなの」 原発さえなければ 残された妻子、東電提訴へ


    小屋の壁に菅野重清さんが残したメッセージとバネッサさん=福島県相馬市、金子淳撮影(一部画像を処理しています)

    菅野バネッサさん

    菅野重清さん

    菅野バネッサさんの自宅の酪農場と引っ越し先の地図

     「原発さえなければ」。そう書き残し、東京電力福島第一原発事故の3カ月後に福島県相馬市の酪農家の男性が自ら命を絶った。「事故で平穏な生活を奪われた」と、妻と息子2人が3月、東電に対して損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こす。夫への思い、東電への怒り。妻が取材に語った。


     菅野重清さん(当時54)が自分の酪農場の堆肥(たいひ)小屋で首をつり、亡くなったのは2011年6月。小屋は原発事故の2カ月ほど前、堆肥販売を拡大しようと、借金をし500万円以上かけて建てたばかりだった。

     小屋の壁には今も、重清さんがチョークで書いたメッセージが残っている。「仕事をする気力をなくしました」「ごめんなさい」「なにもできない父親でした」――。

     妻のバネッサさん(34)が壁を見つめ、涙を流しながらつぶやいた。「10年以上一緒に暮らしたお父さん、会いたいよ。お父さんは悪くないのに、何でごめんなさいなの」

     バネッサさんは00年、母国のフィリピンで重清さんとお見合いして結婚し、相馬市に来た。約40頭の乳牛を育て、つくった堆肥を売る生活。重清さんは寡黙だが、家族との暮らしをいつも一番に考えてくれた。休日には長男(8)、次男(7)と4人で買い物に出かけたり、山で山菜を採ったりした。バネッサさんにはそんな日常が幸せだった。

     原発事故で全てが暗転した。放射能の影響で牛乳は1カ月、出荷停止に。堆肥も売れず、収入は途絶えた。借金返済のめどが立たない。重清さんは「どうすればいいのか」と繰り返すようになった。

     バネッサさんはフィリピン政府に促され、11年4月中旬から息子2人を連れて一時的に帰国した。重清さんも酪農を捨てて移住することを考え、4月下旬からフィリピンで1週間過ごした。だが、仕事が見つからずに日本に戻った。

     夫婦は週に2、3回、電話で話をした。「飯、食ったか」「元気か」。たわいのないやりとりで互いの様子を確認し合った。

     6月10日の早朝も電話があった。早い時間の電話に驚いたが、夫の声はいつもと変わらなかった。「バネちゃん、ちゃんと子どもの面倒見てね。(日本に)帰ってこなくていいんだ。子どもを大事にして」

     翌日の午前、重清さんは遺体で見つかった。「なんで、どうして」。友人からのメールで夫の死を知ったバネッサさんは、放心状態のまま子どもと日本に戻り、葬儀を済ませた。

     放射能が怖くて、自宅から約20キロ離れた福島県伊達市の借家に引っ越した。病気がちの子どもの世話があり、働けない。夫の生命保険で約800万円の借金を返し、残りを取り崩して暮らしている。

     昨年11月、事故後の福島の現状を追う映画を撮影していた四ノ宮浩監督と出会った。東電への不満をため込みながら、どうしてよいか分からなかったバネッサさんは、自分の思いを初めて他人に伝えた。「東電を訴えたい」。その一言で訴訟の準備が始まった。「お父さんがいてくれたらなと、思う。生活も苦しい。子どものために闘いたい」

     バネッサさんと息子2人は3月に起こす訴訟で、約1億1千万円の損害賠償を求める予定だ。原発事故の影響で酪農が続けられなくなり、生活が破壊されて自殺に追い込まれた、と主張していく。

     東電広報部は取材に「多くの皆様にご迷惑とご心配をおかけしていることについて心からおわび申し上げます。提訴については承知していません」と回答した。

     (植松佳香)


     ■重清さんが堆肥小屋の壁に書き残したことば

     原発さえなければ

     姉ちゃんには大変おせわになりました

     長い間おせわになりました

     2011 6/10 PM1:30

     大工さんに保険で金を支払って下さい

     ごめんなさい

     原発さえなければと思ます

     残った酪農家は原発にまけないで願張て下さい

     先立つ不幸を

     仕事をする気力をなくしました

     バネ (息子2人の名前)

     ごめんなさい

     なにもできない父親でした

     仏様の両親にももうしわけごさいません


    スポンサーサイト

    0
      • 2020.08.15 Saturday
      • -
      • 01:28
      • -
      • -
      • -
      • -
      • by スポンサードリンク

      コメント
      コメントする








         
      この記事のトラックバックURL
      トラックバック