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報道するラジオ 震災特番 被災地と共に苦悩する関西人2013/3/11

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     永岡です、報道するラジオの震災2年スペシャル、千葉猛さんの報告で放送されました。震災で16000人亡くなり、2700人行方不明です。仮設住まい、避難者は315000人に上ります。

     関西の人も被災者とともに歩んでいます。阪神・淡路を体験した関西人と東日本大震災を考えます。

     千葉さん、宮城県の石巻におられて、ここで3000人亡くなりました。そこの仮設に千葉さん今おられます。



     今日のニュース、大阪のスタジオで河本光正さんの報告、毎日新聞ほっと兵庫編集長の平野幸夫さんの案内によるものです。震災2年、震災関連死も2300人です。38の市町村で、住民が流出しています。改善されない住宅事情もあり、高台への造成も進んでいません。余震も続き、震度1以上は10000回、震災前に戻るには年単位の時間がかかります。

     政府の追悼事業もあり、安倍総理、強靭な国土を作るというのです。

     福島は15万人避難、追悼行事もありました。



     そして、石巻の千葉さん、寒くて、強い風が吹いたのです。被災者はあの日も寒かったと言われました。追悼の集いもあり、千葉さんは献花台に行き、6.9mの津波が襲い、更地のままです。献花台に200人集まり、2時46分にサイレンが響き、手を合わせていたのです。変わっていないが、前に行かないといけないと被災者は言います。被災者の心の傷は深いのです。

     そして、ここに神戸市長田区で被災した方がテントを立てて、暖かいコーヒーを配られました。すぐにトンボ帰りの日程で、10人来ておられます。石巻の復興、海から遠いと家も元に戻り、しかし海に近いと壊れたまま、復興の手は進んでいない、地域による復興格差が広がっているのです。平野さん、先週福島、宮城を見て、復興格差を見た。仙台の中心街は被災地かと思うほど賑わっているが、少し郊外に出たらブルドーザーの群れ、被災地の人口が流出し、7万人が外へ出て、30歳以下の人が出て、仙台は若い人が目立つ、働く場がなく、石巻では働く場なし、若い人の働く場がない、政治の無策、東北人の気質に、政治の無策が目立つ。これからは、コントロールタワーがない、中央がやっても自分の省のことしかなく、環境、エネルギーとトータルで地域を活性化させないといけないのに、やっていないのです。

     原発事故の影響、事故から2年、除染は進まず、賠償も進んでいません。住民の調査では、3割の住民は戻らないのです。そして、周辺住民が、原状回復+慰謝料で集団提訴を初めて行いました。1650人の原告、地域の環境を戻し、責任は国にあるとする裁判です。原発は国策で、国による事業だからです。平野さん、福島は悲惨さは過酷、事故直後、7箇所も転々とさせられたお年寄りが亡くなり、2万羽の鶏が殺処分。東電の賠償は被災者に過酷で、厳しく査定して受け付けないのです。申請の書類も難しく、貼り付けるべきもの、避難時のタクシーの領収書を付けろといい、そんなものあるわけない、それで、疲れたから請求するのを止めた人も多く、民事で政府、東電の責任を問うのは大きいと言われました。民事、刑事両方で責任を問うべきと平野さん言われました。廃炉は40年では出来ない専門家の声もあり、安倍氏、国会で現場主義に徹すると言うが、現場主義は現地に来ないと分からない、中央省庁は現地に来ていない、それが問題なのです。

     沖縄の普天間の、辺野古問題、名護漁協は辺野古埋め立てに同意、しかし補償額が満たされないとOKになりません。知事の埋め立て許可に漁協の同意が必要です。平野さん、知事が埋め立ての免許審査に必要なものではないが、一つ一つ国としてはステップを踏んでいる成果を見せたくて、アメリカ向けのポーズであり、漁民には、必ず生活を守らないといけない、金銭的な要求で、しかし中長期的には漁場がなくなり観光客も来なくなる。辺野古移設に8割反対、漁協の賛成は焼け石に水なのです。



     千葉さん、石巻の、山に近い仮設(1200戸近い、一面仮設)におられます。4畳半二間の仮設です。ここで、震災直後から支援されている西本さんがおられます。神戸の人で、2011年3月に大学卒業で、職が決まらず゜、今行かないといけないとして来たのです。阪神・淡路の被災地で活動されて、西本さん阪神・淡路の被災はしていないが、大学時に芦屋の議員の手伝いをして、震災で議員を目指した人、震災への関心はあったのです。

     西本さんの活動の模様、仮設の集会場で、お年よりも遊べるイベントをやっています。集会場を使って、お坊さんを呼んでお茶飲み会もした、手芸好きの人のためのもの、近くの山に登る、日々の楽しみのイベントを企画しています。

     仮設の方3人に集まられて、80〜70の方、自宅を再建された方もおられます。亀山さん、仮設の暮らしは1年で、石巻市役所から行政委員を受けて、その会長です。行政委員、仮設の皆さんが明るく健康にと、尽力されています。しかし、みんな市町村の違うところから入居して、同じ地域の人が入っているのではない、環境作りは困難で、難しいところにめげずに頑張っておられます。西本さんの協力を得て、指導ももらい、亀山さんのものを行政に活かせているのです。困っているのは、環境作り、交通機関が悪く、お年寄りが病院に通うのが困難。タクシーを何度も使うと費用が大変で(これは神戸との大きな違いです)、それを市で考えてほしいのです。佐藤さん、仮設暮らしは、大変狭く、ゴミだらけ。部屋をもらったことは感謝している。一部屋で、皆さんをお茶に誘ってコミュニケーションを取っています。

    佐々木さん、誰も知り合いはなく、月1回の集会で会い、週に1度カラオケ、飲んで、ストレスを取っています。これから閉じこもりが問題で、西本さん、支援者の役割、いろいろな人が頑張り、しかしお金もなくなり規模は小さくなるが、細く長くの付き合いを続けたいと言われました。佐々木さんは仮設を出られて、出るのは大変かについて、住宅金融公庫に声をかけたら70歳まで年齢制限があり、4人家族、3Kで4人はきつく、娘家族が出て、公庫に頼んでOKをもらい、70歳で25年ローンを組んだのです。それまで持つか不明です。そこまでの決意がないとダメ、孫の勉強の環境が要るからです。

    佐藤さん、仮設を出るには、復興住宅を待つ。元の場所は海で戻れない、しかし、復興住宅はまったく進んでいない(阪神・淡路だと早めに建った)、遅い、速くして欲しい、広いところに行きたいのです。大変なのは、年金生活で、ガソリンが上がり年金も下がる、医療費の継続を求めて県庁に行き、医療費は3月末で切れる、しかし岩手は続く、宮城も続けて欲しい。知事にお願いに行ったのです。バスを貸しきって県庁に行き、県会議員は話を聞いてくれて、仮設にいても何でも上がり、何とかならないか訴え、知事室に行ったが、知事、副知事もいなかったのです。議員にお願いしたのに、いなかったのです。拒否されたので、残念なのです。みんな同じ国民年金、1割負担でも助かるのです。他のところはやってくれて、宮城はしてくれていないのです。女川、他の地区からも行ったのに、何とかと言ってくれたらよかったのに、それすらなかったのです。憤りです。生活は苦しく、知事に会ってもらえなかったのが残念なのです。一言言ってくれたら納得できたのに、会ってもらえないのに憤りを感じるのです。

     亀山さん87歳、自分の考えは,元の土地に戻りたい。ご先祖が作った土地、そこに戻るのが常識。再建を考えているが、建築費用は莫大になり、1000万円では足りない。今、国のほうから再建支援の200+50万円を援助され、しかし津波で流されたところに立て直すのは困難。息子が仙台にいて、家を再建して、それで死んだら仕方ない。持ち家を作りたい。国の支援策は250万円のみ、ありがたいが、消費税が10%になり、それは被災者には莫大な金になり、政府が250万円をくれるとしても、新築の段階で、出来上がって消費税10%なら、1800万かかったら180万円税で取られてしまう。それが援助になるのか、復興支援になるのか、なのです。それを国で考えて、被災者の新築には消費税免除をしてほしいのです。今、景気は上がっているというものの、復興の税金もあるものの、亀山さんは復興を実感できていない。地域差もあり、何が1番か、何が2番か、人が集まれば、そこの文化が復帰する、それを頼りに人が集まる。元の街に、住んでいる人を戻したいのです。仮設でコミュニティバラバラ、生まれ故郷に帰れない。市当局は、復興住宅がようやく設計段階,借り上げ住宅を探しても、不便なところであり、希望する人は少ない+家賃が高い、生活できないのです。

     佐藤さん、復興を実感できていない、どこに復興できたのだ、ここで良くなったとかは何もない。何も見えていない。支援してほしいのは、復興住宅、人が集まる場所がないと復興ではない、みんなバラバラなのです。コミュニティが壊れたのが大きいのです。

    佐々木さんは、周りに建て始めて、お金はあれば出られる、復興支援を大きくして欲しいのです。復興はちょっとだけは感じているのです。立ち上がろうとする人に支援がいるのに、そこから税金を取る矛盾もあるのです。

    西本さん、関西人のできることは何かについて、これを解決するのは一人ひとりの力では困難、微力であり、関西だと阪神・淡路もあり、南海地震も来る。地震時にどう避難するかを決めること、今あったらどうしようと考えるようにしたら、心配する範囲を調べたら広がる。それが派生することが、今後の被災地に広がることだと言われました。



     今日は震災から2年、関西の人が被災地に支援しています。神戸から来た、不良ボランティアを集める会の小沢さん、お電話での出演です。小沢さん、今日は土日に岩手の仮設に行き、焼きうどんを作ったのです。不良ボランティアとは、ギョとする響きかも知れないが、阪神・淡路で大量のボランティアが集まり、いろいろな人が集まっている、まともなボランティアだけではないという、多種多様なボランティアだというのです。震災後、ボランティアの自粛ムードを突破すべき、どんな条件でも、という集まりです。自己満足のためと言われるかも知れないが、ボランティアが足りない、被災者も多様な人、障害者、高齢者であり、一人ひとりに向かい合えるのです。多様な人が、それぞれの能力を生かすもので、当たり前の世界なのです。

     阪神・淡路の経験、小沢さんは1・17にものを言う立場でないが、130万集まったボランティアがあった、ボランティア元年を3・11にも、なのです。今後の活動は、何でもありだが、今は仮設に入る人に会いに行く、福島の支援はこれから何十年、県外避難者にも支援したいのです。



     今度は、震災で親を亡くした子供の支援をしているあしなが育英会の人、東北事務所の若宮さんのお電話でのお話です。あしなが育英会、仙台、石巻、陸前高田他で、震災で親を亡くした子供たちに集いをやったのです。震災から2年、平日で、いつでも来てもいいとしていたのです。震災で親を亡くした、行方不明の子供たちは、把握した数字だと2076人(全国)。阪神・淡路が600人、その3倍以上です。

     震災から2年、子供たちは、一人ひとりで様子が異なり一言では言えないが、神戸も震災から2,3年が子供たちが不安定になるので、今が大事です。時間が解決するのではない、神戸だと、その結果です。スタッフも細やかな活動が必要になります。東北にもレインボーハウスを建設したいのです。

     あしなが育英会、主に石巻、仙台、陸前高田で活動して、昼に集まり、職員とボランティアで待っていても子供たちに自由に遊んでもらうのです。プログラムの中で、子供たちに質問はしていないが、参加を重ねて、子供たちとの信頼関係も出来て、相談する子供は増えているのです。あしなが育英会、神戸の経験は、神戸では何も経験のない中始めて、震災から半年、子供の心の傷に気づいた。子供たちをキャンプに連れて行くと、七色の虹を黒く書いた子供がいて、震災で父、妹を亡くした子であったのです。深い心の傷もあり、神戸で震災遺児となった人が東北で活躍しているのは、神戸のレインボーハウスで育った子供が、今度は東北を支える番だと、来る大学生もいるのです。そういう人を見て、神戸から来たと言うと、会の中で、震災で親を亡くしたというと、親近感を東北の子供たちも持つのです。

     今後の支援、レインボーハウスを仙台、石巻、陸前高田に計画して、子供たちに寄り添っていくのです。



     リスナーのメールも来て、復興して欲しいが自分の生活に追われている、せめて募金だけ、東北のことを忘れていないというものも来ています。仮設の皆さん、亀山さん、震災後、関西の支援が力強くて、生活のプラスになったと言われました。関西だけでなく、全国の支援に感謝すると言われました。佐藤さん、助けてもらい、2年になり、ストレスもたまらず、ボランティアとお話が出来て、助かったと言われました。佐々木さん、石巻は魚の町、魚を食べて欲しい。魚も獲れ始めているが、放射能で高く買ってもらえない、みんなに協力してもらったら、なのです。現地では放射能はチェックしているのです。

     西本さん、今後の被災者支援、多様な人が支援しており、震災遺児の人も協力され、人はつながっていくもの、自分の出来ることをやって行きたい。今東北の人は大変で、一緒に悩み、一緒に笑えるように。次の東南海地震もある、そのときに東北が動く番になったら、すごくうれしいと言われました。

     この部屋に、亀山さんの奥様もおられて、ボランティアに感謝している、やさしい言葉をかけてもらい、みんな優しくしてもらい、うれしかったと言われました。健康診断でちゃんと書いてくれたと言われました。ありがたいのです。千葉さん、東北弁で良かったと言われました。

     関西で、大阪大学が支援をしており、渥美さんのお電話、今日も大阪大学のイベントがあり、野田村のサテライト、初のセミナーをやり、アメリカからも89年の地震の体験者、奥尻の被災者も迎えて、学校の先生方に聞いてもらったのです。野田村でのイベントの意味、2年経ち、これからが大変。区切りの日に、過去の大変なこと、立ち直ったことで、元気付けようとしたわけです。野田村の方、村民との交流もテーマで、サテライトで、子供たちが体験した災害、復興を話し合う機会であり、大学も一緒に村を作るのです。阪大が野田村を選んだのは、渥美さん、南から支援した際に、一番北の野田村が手薄くなり、そこから出合った人と一緒にやるのです。関西の大学だから、阪神・淡路の経験を活かして、人と人の出会いを大切にする。東北から来て、迎えてくれる、ずっとそばにいる、学生が来てくれるのがいいことなのです。

     関西から東北に何が出来るか、であり、渥美さん、いくつもあるが、東北に旅行して、観光でそれを拠点して、現地に来て交流してほしい。遠いなら、思いを馳せるだけでも支援になるのです。

     千葉さん、復興は遠いと感じて息の長い支援をどうするかと言われました。千葉さん、東北でお疲れ様でした。


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