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読書レジメ『季刊 理科の探検』2014年春号  「特集 ニセ科学を斬る!」

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    書レジメ
    『季刊  理科の探検』2014年春号  「特集 ニセ科学を斬る!」
     
    ■左巻健男「 「ニセ科学」問題入門〜理科の土台を弱らせる〜〜消費者の財布と心がねらわれる〜」
    ・『水からの伝言』  道徳の時間に水に「ありがとう」  江本勝らの「波動」商売(波動測定器)
      教育界にまでニセ科学が侵入 教育団体TOSS(教育技術法則化運動)
    「ニセ科学」とは、科学の専門家から見て科学ではないのに、「科学っぽい装いをしている」あるいは「科学のように見える」にもかかわらず、とても科学とは呼べないもの。

    科学はわからないけど科学は大切だ わかりやすい「物語」に弱い(「量子力学」「波動」)
    ・「マイナスイオン」は科学の言葉ではない 「陰イオン」とは別物 ものによっては有害なオゾンを発生するものもある

    ・健康情報が流布するときに「体験談」が威力を発揮
    薬や食品の有効性を調べる実験では、試験管レベル、動物実験レベルの根拠性は低いが、体験談はそれよりもずっと低い
    人を対象にした試験で有効性がないものには近づかないこと
    ・ニセ科学は誰を狙うか 船井幸雄(春山茂雄『脳内革命』 「脳内モルヒネ万能論」  比嘉照夫「EM菌万能論」)
    • 「先覚者」(2%くらい)  男:女=2:8
    • 「素直な人」(20%) 先覚者のいうことを素直に耳に傾ける
    • 「普通の人」(70%弱)
    • 「抵抗者」(10%弱) 50歳以上の男性に多い 職業的には学者、マスコミ人
    「先覚者」の3,4割が動き出すと「素直な人」の半分ぐらいが同調する、さらにそれに「普通の人」が追随する
    口癖は「科学ではわからないことがある」
    ・ニセ科学に引っかからないセンスと知力(科学リテラシー) 「知は力」
    ニセ科学の強い肯定派
     ・自分の人生を他者や何ものかに依存・ムダな金や時間の浪費・ カルト教壇への傾倒・ 治る病気が悪化
     ・合理主義的思考や科学的手続き無しの安易な肯定は、ファシズムなどに流されやすい
    ダマされないために
    • たった一つのもので、あらゆる病気が治ったり、健康になったりする万能なものはない
    • お金がかかり過ぎるのはおかしい
    • ネットや本なのでまともな情報を調べてみる。結構、情報がある
     
    ■小内亨 「ダイエットをめぐるニセ科学」
     キトサン、サバ缶(GLP-1)、カツオ(ヒスチジン) 理論から作り上げられた仮説でしかなく、実際に実験で確かめられていない
    脂質制限食、糖質制限食、地中海食のダイエット効果比較
    地中海食(ちちゅうかいしょく)とは、野菜・豆類・果物・シリアルを多く摂取し、オリーブオイルからn-3系不飽和脂肪酸を多く摂取し、魚介類を多く、乳製品・獣肉や家禽類は少なめに、食事中に適量の赤ワインを摂取する食事である。
    ダイエットの大原則は「摂取カロリー<消費カロリー」
    • 好きなだけ食べて、運動をせず痩せることはできない
    • 運動で消費できるカロリーはたかが知れているため、運動だけで痩せることは難しい
    • 体脂肪を減らしつつ体重を減らすためには、食事療法だけでなく、活動量を増やす工夫が必要
    • それだけを飲んだり食べたりしただけで痩せられる魔法の食品は存在しない
     
    ■片瀬久美子 「健康食品・サプリメントにご用心 その宣伝、信じてよいの?」
     健康食品、特別用途食品、保健機能食品(特定保健用食品、条件付き特定保健用食品、栄養機能食品)
    多くの健康食品は毒にも薬にもならない−でも、ご用心
    「効果」のあるものは「副作用」もある
    ・「酵素栄養学」 火を通さない食品を中心に食べると良いとする
     主にタンパク質からできている酵素を食べ物から補おうとしても、食べ物と一緒に胃や腸の中で分解されてしまい、酵素のまま体内に吸収されることはない
    食べ物から酵素を取り入れないと不足して寿命が縮まるというのはウソ
     
    ■安居光圀 「抗酸化物質は体によいのか」
     「体が鉄のように錆びるとよくないのでそれを防ぎましょう」
    効果が期待できないばかりか、量が多すぎると副作用に悩まされる
    体の中には本来の抗酸化システムがあり、外部からの手出しが悪い結果を生む  
     
    ■菊池誠 「ニセ科学の「波動」と物理学の波動」
     ニセ科学でいう「波動」とは、すべてのものは固有の波動を持つという思想、そういうも妄想
    「タオ自然学」 ニューエイジ科学 江本勝「MRA(磁気共鳴分析器)」 マルチ商法 「水の記憶」 ホメオパシー EM菌
     
    ■天羽優子 「摘発されたニセ科学商品の事例」
    「水素水」「プラズマクラスター」「小顔矯正」などなど
    ■天羽優子 「法と科学 ニセ科学による被害を救済する仕組み」
    「ホメオパシー」 助産師による新生児殺人 ビタミンK2を与えず「自然治癒力を促す」と称するレメディを与え、脳内出血で亡くなる ニセ科学に基づいて行動することで、命の危険が生じることがおきる
    ・被害がおきたらどうするか
     最初から騙す意図が明らかであったり、加害の程度が重大であったりして警報に触れる場合
      詐欺罪や過失傷害の罪として刑事罰の対象 証拠を集めるのは国の仕事
     騙すつもりは無かったが結果として最初に言った通りの高架や性能が無く、価値の無いものに金を払わせたことになった場合は詐欺罪で処罰できない
     加害者が罰を受けても、それだけでは被害者は救済されない 民事訴訟 証拠を集めるのも被害者の仕事
    ・科学のルールと法律の違い
     裁判所は学会ではないので「あれの結果これが起きた」ということが常識的にみて確かならば、因果関係を認める
     わかりきった自然法則であっても、原告か被告のどちらかが裁判所で述べない限り、判決の根拠にはできない
     裁判所が自然科学とは異なった因果関係の認め方をすることは、公平性の面から見て理にかなっている
    裁判所が認める「事実」と、科学的な「事実」が異なったり、誰が何をどこまで証明するかが異なったりすることはよくあること
    裁判所は人の間の争いを解決するために必要な仕組み
    科学は自然の仕組みを理解するための事実を必要とする
    ・「不実告知の禁止」 事実と違うことを言って売ってはいけない
    消費生活センターに相談
     
    ■呼吸発電「EMのニセ科学問題 様々な分野で幅広く使われていても目立たない、不思議なEM」
    EMは乳酸菌、酵母、光合成細菌を主体とし、安全で有用な微生物を共生させた多目的微生物資材とされる
    EMが持っているとされる様々な効果はEM研究機構及びEM普及活動をしている個人・団体が主張するものであって、第三者が確認したものではない
    生ゴミ処理に助成金  地方自治体は地域の新聞に載り、市民団体からも要望があると、EM製品に助成金を出すことになる
    EM活性液を使ったプール清掃  1618校、6万2千人の子どもが清掃した
     酸に弱い水生生物は生存が難しくなり、赤とんぼが減少した 河川の汚染にもつながる
    EM団子を河川や海に撒く活動 高濃度の有機物が含まれるので環境汚染源になる
    EM普及団体による除染活動が福島県内で大規模に行われたが、除染の効果を示す十分なデータは示されていない
     水だけでなら溶けない土壌中のセシウムもEM活性液散布で溶け出す可能性
    小金井市はHDMという微生物を用いた処理方式を全会一致で市長に陳情 ゴミ処理できず窮地に 新市長は辞任
     
    ■松永勝彦 「EM団子の水環境への投げ込みは環境を悪化させる」
     EM菌が科学と言えないのは、まともな論文が存在しないから
    比嘉教授は「EM研究機構の同意なしには、勝手に試験して効果を判断する権限もありません」と自らEM菌は科学でないことを認めている 誰が行っても同じ結果が得られるから科学なのだ
     
    ■鈴木貴之 「脳科学とどうつきあうか−ニセ脳科学にだまされないために」
    「ゲーム脳」理論、脳トレ、「三歳児神話」
    ニセ脳科学の有害性
    • お金や時間の有効利用の妨げとなりうる 脳トレゲームがもたらす効果は家事をこなすことでも得られるかもしれない
    • 不適切な政策決定をしてしまうかもしれない 早期教育は有効か?
    • 批判的思考の低下をもたらす 科学技術力の低下や民主主義の劣化など
     
    ■菊地聡 「ニセ科学を信じてしまう心のしくみ」
    認知バイアス 知覚や記憶、思考といった認知のシステムは必ずしも正しく公平に情報を処理するものではない
    血液型性格学を例にすれば
     「社会的情報の受容」→「雑誌に載っていたから信じる」
     「基本的な動機付け」→「友達の相性を知りたいから信じる」
     「見かけの実用性」→「コンパの話題で盛り上がれるから信じる」
     理屈を超えた「具体的な体験」→「血液型が的中する」
    「偶然の誤差による変動」   「熱心に神社にお参りした後で、宝くじで一億円当たった」
    実際にあった体験をもとに因果関係を(誤って)推論し、学習してしまった
    素朴な科学者たちは、雑多な事実や偶然の誤差変動の中から自分の仮説に合致した事実を「切り取り」、不都合なことは無視する認知バイアスを十分に発揮することで、自説を強化していく。自説に有利な証拠を次々と見つけ出し確証されることによって信念を深めるというループ
    人の自然な心理傾向と、科学の考え方は相反する 
    科学は人間を「信頼していない」   ニセ科学は人を信頼した「人にやさしい科学」
     
    以上
    読書メモ
     
    ■カール・セーガン 『悪霊にさいなまれる世界 「知の闇を照らす灯」としての科学』
    <科学の価値は、民主主義の価値と相性がよく、この二つは区別できないことも多い。文明化された形での科学と民主主義とは、同じ時代、同じ場所に初めて姿を現した。それは紀元前七―六世紀のギリシャでのことだった。それからというもの、科学は、労をいとわず学ぼうとする者には、わけへだてなくその力を授けた(もっとも、多くの人はそれができないような体制の中にいたのだが)。科学は自由な意見交換によって栄えるし、実際それを必要ともしている。つまり科学の価値は、秘密主義のそれとは正反対のところにあるのだ。また、科学には特権的な観点も地位もない。科学と民主主義はどちらも、因襲にとらわれない意見を出し、活発な議論をするようにわれわれを励ます。そのどちらもが、十分な根拠と筋の通った意見を出すよう、証拠には厳しい水準を課すよう、そして誠実であるようわれわれに求める。科学は、知ったかぶりをした人のウソを見破る手段にもなってくれるし、神秘思想、迷信、まちがった目的に奉仕させられている宗教から、我が身を守る砦にもなってくれる。科学の価値を大切にしていれば、いざ何かにだまされそうになったときには、それを知らせてくれるだろう。
    そして誤りを犯しそうになれば、軌道修正してくれるだろう。>
    (
    上巻、87ページ、ただし引用は、旧版 『人はなぜエセ科学に騙されるのか』(新潮社2000年刊)から)
     <科学と民主主義はどちらも、実験による判決を積極的に受け入れる思想>(下巻、340ページ)であり、
    <科学がかつてない強力な力をもたらした現在、われわれは強い倫理をもってそれを監視し、科学者は強い関心をこの問題に向けなければならないということ、そしてそれと同時に、科学と民主主義の重要性を、公教育のなかですべての人に伝えてゆかなくてはならない>(下巻、370ページ)

    ■セス・C・カリッチマン/著 野中香方子/訳 『エイズを弄ぶ人々 疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇』(化学同人)
     出版社サイトにあるとおり、
    <HIVはエイズの原因ではない.アメリカ政府と製薬企業が陰謀をはかっている」.一部の科学者を含むHIV/エイズ否認主義者たちの奇妙な主張が,南アフリカをはじめとする国々のエイズ禍を引き起こした!社会心理学者でエイズ問題に取り組む著者が,疑似科学と陰謀説の実態を明らかにし,否認主義に陥る心理を分析する.>という内容で、この主テーマに関しては、ぜひ手元で本を開いて読んでいただきたいですが、私の問題関心にひきつけて、陰謀論との関係について、本書から有益な視座を紹介します。
     まず、「否認主義者」という言葉について。 
    著者はインターネットで否認主義者の活動を追跡するグループによる「否認主義」の定義を引用しています。
     ↓
    < 空論にすぎないものを言葉巧みに展開し、正当な論争や根拠のある主張のように装う。このように偽りの主張をふりかざすのは、科学的合意や圧倒的な証拠に対抗する事実がほとんどないか、まったくないからだ。人々の感情に訴えて、有意義な議論から目をそらさせることはできるが、結局彼らの主張は無意味で非合理的なのだ。これまでに否認主義者がその先述を用いた話題には、次のようなものがある。創造論とインテリジェント・デザイン、地球温暖化の否定、ホロコーストの否定、HIV/エイズ否認主義、九・一一陰謀説、タバコの発がん性の否定(最初に組織化された否認主義の活動)、自閉症水銀原因説に基づく予防接種反対運動、動物愛護過激団体による動物実験反対運動。否認主義とは党派や政党にかかわるものというより、一種の思想傾向で、策略の様式である。>
    (13〜14ページ)
     お約束事のように、九・一一陰謀説も含まれているわけですが、日本でもワクチン接種否認主義の陰謀論を振りまく人との相関関係はネットで調べればすぐにわかりますので、具体的な引用はあえてしません。
    一つだけURLを示しておけば十分でしょう。http://kikuchiyumi.blogspot.com/2011/02/machpvbyfda.html
     本書によると、否認主義は、科学や医学を完全に拒絶し、医学的な忠告を否定したり、無視したりする。非常に頑固でぐらつかない。批判は聞き入れず、歩み寄ることもない。唯一受け入れるのは、自分たちにとって都合のいい新たな証拠で、それらは往々にして科学の誤用や疑似科学によってもたらされる。新しい反証が出されても、それまでの考えを捨てようとしない。
     否認主義の大きな特徴は一つは、他人の視点で問題をみようとせず、なんとしてでも自分の立場を守ろうとすることだ。自らの見解に矛盾する証拠が提示され、それが真実へ導いてくれるものであっても、受け入れようとしない。新しい事実に異議を唱え、過去に固執しつづける。
     もう一つの特徴は、自分たちは少数派で、まちがった考えに取りつかれている多数派に包囲され攻撃されながら、どうにかそれをしのいでいると考えがちなことだ。
     その結果、否認主義はしばしば自分の立場を正当化するもうひとつの方法として、言論の自由という原則を強く訴えるわけですが、これは後述。そんなこんなで、否認主義者は勇気ある敗者を気取ることが多い。氾濫するまちがった情報や、自分たちを黙らせようとする陰謀に立ち向かい、真実を語る権利を守るために闘っているつもりになっていると
    (14〜15ページ)
     さらに、
    <否認主義者は、九・一一同時多発テロの真相に疑念を抱く人や、人間が月面に着陸したことを疑う人と多くの共通点を持っている。陰謀説はどれも、腐敗した政府と大企業が結託して米国民を騙している、と訴える。石油産業と共謀する国防省、航空機産業と癒着するNASA、巨大製薬会社に奉仕するNIH……そのように癒着した官民の組織が、金儲けのために九・一一の惨事を国際テロ組織のしわざに見せかけたり、月面着陸を捏造したり、ありもしないエイズウイルスを作ったりしたのだ、と陰謀説は説く。>
    (156ぺージ)

     アポロが月に行っていなかったというトンデモ論と911陰謀論については、陰謀論検証として、
    『検証 陰謀論はどこまで真実か』http://civilesociety.jugem.jp/?eid=6932で詳しく説明されていますが、中高生レベルで読めるファニーな紹介としては、山本弘『ニセ科学を10倍楽しむ本』http://civilesociety.jugem.jp/?eid=6309がおすすめです。
      陰謀論は体制に対するアンチとして正当化されてしまう状況については、 
    『呪われたナターシャ 現代ロシアにおける呪術の民族誌』を通じて事例紹介しました。http://civilesociety.jugem.jp/?eid=6933
     ニセ科学と陰謀論である否認主義は、狂信的な科学者とそれを伝播させるジャーナリズムが重要な役割を果たしています。
    「第4章 否認主義者のジャーナリズムと陰謀説」では、その特徴がいくつか述べられていますが、とくに重要な指摘をあげておきます。
     まず、科学情報の歪曲と専門語の乱用。
    < 科学情報を歪曲すると、基本的事実が簡単に偽情報に変わる。科学情報をねじ曲げる戦略のひとつは、正しい情報源からばらばらの文章を選び出し、それらをつなぎ合わせて、科学らしく聞こえるものの、ほとんど理解できない文章にするというものだ。>(169ページ)
    < 科学情報を歪曲するのは、科学らしく装って理解できなくするためだ。同じ目的から、専門用語を多用することもある。
    専門用語や仲間内の流行語や非常に難解な言葉を使って、もっともらしい印象を与え、人を惑わし、注意をそらし、混乱させるのだ。そもそも専門用語は仲間内の言葉とごちゃまぜにして使うべきではないのだが、仲間内の言葉もやはり説得力を持たせるために使われる。否認主義が専門用語を使うのは、科学的に見せかければ、細かなところがわかりにくくても読む人を納得させられるからだ。科学情報を歪曲するのと同じで、その目的は、たとえ完全に意味不明な文章であっても、読む人にそれを信頼させるところにある。>(172〜173ページ)
     ニセ科学では「波動」「共鳴」「発酵」などよく語られますね。
    そして、いいとこ取り。
    < いいとこ取りは否認主義者のお気に入りの手法である。自分の主張に合うように、他者の研究結果を選んで抜き出すのもそのひとつだ。>(175ページ)
     ゴールポストを下げる。
    < 否認主義者が使うもうひとつの一般的な戦略は、証拠が出されるとすぐ、さらに明確な証拠を要求することだ。>
    (179ページ)
     一番道義的にけしからんのが、恐怖を食い物にすること。
    < 否認主義者は、生命を脅かす病気に対してだれもが当然感じる恐怖を利用する。この策略は、医療の偽情報に対して無防備な人々を食い物にするので、とりわけ破壊的である。>(182ページ)

     そして、曲解。
    < 本質的に否認主義には、事実を自分たちの目的に合うように曲解する傾向がある。>(182ページ)
     また、下記のことを引用して強調しておきたい。 
    < 自由主義者は、言論の自由と科学的な討論を混同しているようだ。言論の自由という点から言えば、地球は平らだとかナチスの大虐殺はなかったとか言ってもかまおわないのと同じで、HIVはエイズの原因ではないと言うのはその人の自由だ。しかし、科学の仮面をかぶった発言の自由を守ろうとすれば、人々はなにを信じていいのかわからなくなり、また、発言者の自由は守られても、他の人々がその犠牲になる恐れもある。>(245ページ)
      著者は正規医療に対する否認主義につて、下記のとおり批判しています。
      ↓
    < すべての医療否認主義は、疑似科学者、フリージャーナリスト、弁護士、零細企業がそろえて「医療―政府―産業による陰謀がある」と訴える図式にまとめることができる。したがって、エイズ否認主義、がん否認主義、その他、医療上の否認主義はすべて、一般大衆に科学や医学を信じさせまいとする運動の一部ではないだろうか?否認主義者はみな、病気はその人自身の行いやワクチンや化学物質や薬品や貧困のせいで起こり、自然界の偶然のできごとではないと言う。否認主義者は、自然療法や酸化防止剤やビタミン剤を治療薬として売る。彼らは、疑似科学の研究結果を、同じ偽医学雑誌に載せる。あらゆる否認主義者は、検閲によって科学の主流派にいじめられているふりをする。彼らはチェック機能のないインターネットで、わけのわからない考えを広める。・・・・・・・・・・・・
    すべての否認主義者にこれほど多くのことが共通しているのだから、もしかすると陰謀説を主張する否認主義者は、皮肉にも科学と医学に対して陰謀を企てているのではないだろうか?>(288〜289ページ)
     大げさな話だと思われるかもしれませんが、野中香方子さんの「訳者あとがき」を引用してしめくくっておきます。
       ↓
    < エイズ予防について、日本も楽観は許されない状況にあります。二〇〇九年の新たなHIV感染者は一〇二一件で、前年より一〇五件減少しましたが、全体としては増加傾向にあり、ここ五年の感染者だけで累計の四三パーセントを占めます。幸いにして日本にエイズ否認主義は侵入していないようですが、がんや成人病に関しては、不確かな民間療法の情報が氾濫しています。
    それを見るかぎり、エイズ否認主義が侵入する余地は十二分にあると言えるでしょう。そうなる前に本書をお届けできたことを幸せに思います。>(294ページ)

    ■サイモン・シン、エツァート・エルンスト著 青木薫訳『代替医療のトリック』(新潮社)
     ニセ科学医療の流布について、それらのデタラメさを潰すには、とても有益な本です。 たぶん、波動や砂糖玉のプラシーボよりも、健康と社会のためになります。  
     以下、引用だけになりますが、紹介します。 
     長文になりますが、市民社会フォーラムML
    での議論を反芻するように、問題点を網羅しているので。
    ========================
     科学者が、人間のケースでこうした例の一部、または全部をプラセボ効果として斥けると、ホメオパスたちはしばしば動物の病気が治った例を挙げる。・・・・・・・・・・
     たしかに動物は、自分がどんな治療を受けているのか、どんな反応が起こることを期待されるのかなどはわかっていないが、その動物をモニターしている人間はそれを十分理解しているという事実が残る。換言すれば、動物はきちんと「目隠し」されているが、人間のほうは「目隠し」されていないため、そういうレポートは信用できないのだ。たとえば、ホメオパシーを信じ、ペットの身を案じる飼い主なら、期待と願望から、改善の兆しにはことごとく目を止め、病状の悪化には目をつぶるかもしれない。たとえその動物がプラセボ効果を上まわる改善を見せたとしても、その動物を案じる飼い主が、ほかの動物より世話を焼くなど、ホメオパシー・レメディ以外のさまざまな要因によって改善した可能性もある。
    ========================168ページ
    ========================
     要するに、医学の主流派は、ホメオパシーについてもその他どんな治療法についても、逸話は(人間の患者に関するものであれ、動物の患者に関するものであれ)、治療法を支持する根拠としては不十分だとして認めない。逸話をどれほどたくさん集めても、しっかりした科学根拠にはならない。科学者がよく言うように、「逸話の複数形はデータではない」のだ。
    ========================168〜169ページ
    ========================
     ホメオパシーに効果があることを示す実験的証拠はひとつもなく、効果があると思えるような理論的説明すらないというのに、なぜホメオパシーはこの十年ほどのあいだに急成長を遂げ、何十億ドル規模のグローバル産業になったのだろうか?率直に言って、科学的根拠を見ればホメオパシーに効果がないのは明らかだというのに、なぜ多くの人たちが、この治療法には効果があると考えているのだろうか?
     ひとつには、ホメオパシーの信用を失わせる研究が膨大にあるのを、一般の人たちは知らないということだ。
    ========================183ページ
    ========================
    科学の核心部では、一見すると矛盾するかにみえる二つの姿勢がバランスをとっている。
    ひとつは、どれほど奇妙だったり直感に反したりしてても、新しいアイディアには心を開いておくこと。
    そしてもうひとつは、古いか新しいかによらず、どんなアイディアも懐疑的に厳しく吟味することだ。
    そうすることで、深い真実を深いナンセンスからより分けるのである。

    カール・セーガン
    ========================190ページ
    ========================
    代替医療セラピストのなかには、危険な病気の人に無益なレメディを売るという行為を納得ずくでやり、金を儲けて満足している人もいるだろう。
    しかし、・・・ セラピストの大部分は、心から良かれと思ってやっているということだ。
    誤った考えに導かれたセラピストは、患者と同様、治療が効くと信じているのである。
    ========================246ページ
    ========================
     インターネットをざっと見ただけでも、・・・変わった治療法が実にさまざまあり、科学的な根拠がないまま大胆なことが言われている。
    ・・・・・・・・・・
     こうしたウェブサイトでは、エネルギーや波動や共鳴といった、それらしい言葉が使われていることが多い。
    適切な文脈で使われれば科学的に意味のある言葉なのだが、代替医療の文脈で使われている場合は、たいていは意味をなさない。たとえば《セラピューティック・タッチ》は、患者の「エネルギー場」を操作して、痛み、外傷、ガンをはじめ、さまざまな症状を治療するという代替医療のひとつだ。セラピストは普通、患者の身体に触れないので、「非接触セラピューティック・タッチ」とか、「ディスタンス・ヒーリング(遠隔治療)」といった名称でも知られている。・・・・
    セラピューティック・タッチやレイキ療法のセラピストは、一度の治療で多いときには百ポンドほどの料金を請求するが、彼らの言う「人間のエネルギー場(ヒューマン・エネルギー・フィールド)」の意味をきちんと定義したり、それがたしかに存在することをはっきりと示したり、それを操作すれば健康になることを照明した者は、まだ一人もいないことは言っておかなければならない。
     実は、人間のエネルギー場なるものは作り話にすぎないということを示す証拠ならたくさんある。
    ========================282〜283ページ
    ========================
    「科学は代替医療に偏見をもっている」?・・・・
    たしかに代替医療を考えついた人たちは反主流派だったし、現代科学そのものが―ガリレオから最近のノーベル賞受賞者まで―反主流はたちによって築かれてきた。実際、偉大な科学者はすべて、なんらかの意味で反主流派だと論じるのも難しくはないだろう。しかし残念ながら、その逆は真ではない。反主流派だからといって、偉大な科学者だとは限らないのだ。抜本的に新しいアイディアを考えついた反主流派は、その考えが正しいことを世界に向かって証明しなければならない。代替医療の開拓者のほとんどは、そこでつまづいてしまうのだ。
    ========================288〜289ページ
    ========================
     興味深いことに、代替医療は何かと科学を批判する一方で、自分たちに都合のいいときには科学を利用することにも同じぐらい熱心だ。しかしその場合もやはり、代替医療セラピストの宣伝は、秘薬のある議論と陥りやすい誤りに基づいている。
    ========================290ページ
    ========================
    ◆実際に経験したのだから疑いようがないという心情
    ・・・・・・・ こうした個人的経験と科学的研究との矛盾は、どのように解消されるのだろうか?二百年のあいだ積み上げられてきた科学的検証の結果が間違っているとは考えにくいので、私たちは(少なくとも当面は)、ホメオパシーには効果がないものと仮定しよう。そうすると、個人的経験が、私たちを騙していることになる。しかし、いったいどうやって?
     一番の問題は、二つの出来事が立て続けに起こると、私たちはその二つに関係があるはずだと思ってしまうことだ。ホメオパシーの錠剤を飲んで病気が良くなったのなら、ホメオパシーの錠剤のおかげで良くなったに決まっているではないか?二つの出来事のあいだに相関があるなら、一方が他方の原因なのは常識ではないだろうか?だが、答えは「ノー」だ。
    ・・・・・・・相関と因果関係とを混同してはいけないことがよくわかる。・・・・・・・
     たとえば患者は通常医療の薬を飲んでいて、たまたま患者がホメオパシーの丸薬に頼った時期に効果が出はじめたのかもしれない。その場合、効果があったのは通常医療の薬のほうなのだが、患者はホメオパシーの丸薬のおかげだと思うだろう。別の説明として、ホメオパスのアドバイスのうち、レメディを飲むこと以外の何かが効いた可能性もある。リラックスする時間をつくりなさいとか、食事内容を改善しましょうとか、運動しなさいといったアドバイスが効くこともあるだろう。
    生活習慣を改善すれば、さまざまな症状がすぐにも改善することはよくあることだが、具合が良くなったのはそのとき飲んだホメオパシーの丸薬のおかげだと勘違いされるかもしれない。
    また、ホメオパシー・レメディが汚染され、ステロイドなどの医薬品が含まれていた可能性も考えなければいけない。

     ホメオパシーが効くように見えるもうひとつの理由として、患者の身体そのものに起こるさまざまな変化がある。
    病状が変化することはごく自然なことで、ホメオパシーの丸薬を飲んだ時期が、患者の症状が改善する時期と重なったとも考えられる。
    実際、ホメオパシーを試してみようと思ったのが、インフルエンザにかかるなどして非常に具合が悪かった時期だったとすると、後は良くなる一方だ。
    この減少は、《平均への回帰》と呼ばれる。
    つまり、具合が悪いと感じるのは症状が一番重い時期にあたっているので、それ以降、普段の(平均的)状態へと戻りはじめる可能性がとても高いということだ。
     それに加えて、多くの症状はいずれ自然に治り、身体はそのうち自力で回復する。・・・・・・・・・・・・
     たまたま患者の病状が悪化する時期に治療を始めたとしても、...「好転反応」だと言えばすむ。・・・・・・・・・・・・
     信じる者は《確証バイアス》をもちやすいからだ。確証バイアスとは、何が起こっても、先入観を強めるようなかたちでその出来事を解釈する傾向のことだ。信者は、信念を支持するような情報は拾い上げ、信念に矛盾する情報は捨て去る。セラピストはとくにこの確証バイアスをもちやすい。なぜなら彼らは、自分の治療が効くのを見れば、感情的にも金銭的にも大いに見返りがあるからだ。確証バイアスは、トルストイによる次の言葉にちなみ「トルストイ・シンドローム」と呼ばれることがある。
      自慢げに人に教えたことや、人生のいしずえとしてきたことが、間違いだった認めなければならないような事態になれば、たいがいの人は――こみいった問題をやすやすと理解できる人まで含めて――明々白々たる事実さえ認められないものだ。
    ========================297〜301ページ
    ========================
     ...医者をはじめ医療従事者がプラセボ効果のためにホメオパシー・レメディを用いることは間違いだと、われわれは強く信じる。...
     われわれがプラセボにもとづく代替医療を用いるべきではないと考える主な理由のひとつは、医師と患者との関係が、嘘のない誠実なものであってほしいと思うからだ。この数十年ほどのあいだに、医師と患者が情報を共有し、十分なインフォームド.コンセントにもとづいて関係を作り上げていく方向にはっきりと合意が進んだ。それにともない、医師たちは、成功する可能性がもっとも高い治療法を用いるために、《科学的根拠にもとづく医療》の立場をとることになった。プラセボ効果だけしかない治療に多少とも頼ることは、目指すべき目標のすべてをくつがえすことだ。・・・・・・・・・・
    「ホメオパスのくれる砂糖粒には何も含まれていないのだから、身体には毒にはならないだろう。むしろ危険なのは、人の心を毒することだ」・・・・・・・・・・
     親は子どもを守ろうとして、ワクチンなど、命を守る医療介入を勧める科学者の言葉を無視し、ホメオパスが勧める代替の(そして効果のない)方法を用いるかもしれない。啓蒙の時代が始まってから二世紀の進歩を経た今になって、《科学的根拠にもとづく医療》から撤退するという決断を下せば、新たな蒙昧の時代へと逆戻りしかねない。
    ...製薬会社は、自分たちも偽の薬剤を売り出してもいいはずだと強く言えるようになる。偽薬の砂糖粒を万能薬と称して売ればはるかに儲かる商売になるというのに、金のかかる新薬開発の手順を踏む必要があるだろうか。
    ========================315〜318ページ


    ■飯島裕一著『健康不安社会を生きる』 (岩波新書) 帯封に「健康ブームの底にあるものは? 識者へのインタビューを通して『健康とは何か』を問い直す」とあり、様々な角度からの話題が盛り込まれています。まさに、健康を考えるならば、まず読んでいただきたい本です。 いくつか重要と思える箇所を引用しておきます。

    「フードファディズム 高橋久仁子」
    =====================
    「フードファディズム」の概念
    < 食べものや栄養が、健康・病気に与える影響を課題に信奉したり評価することです。ある食品が持っているからだに対する「いい点」あるいは「悪い点」を、ことさら述べ立てる怪しげな倫理>(53
    ページ)
    <問題は健康ビジネスに・・・・・・・・・・・
     特定の食べものが、すぐにからだをよくしたり、悪くしたりすることはあり得ません。万能薬的な食べもの(マジックフーズ)も、有毒物のような食品(悪魔フーズ)も基本的にはないのです。>(56ページ)
    <「からだにいい」という期待感だけで何かを食べることを、私は「効能効果主義で食べる」と呼んでいます。>(57ページ)
    <フードファディズム花盛りの土壌、社会的背景・・・まず挙げられるのは、強迫的ともいえる健康志向・・・さらに、食の安全性に対して漠然とした不安・・・>(58ページ)
    <――…「この食品(商品)は、○○だから安心です」「他のものとは違うのです」といった売り込みがありそうです。 食品に対する期待感や不安感の扇動です。特定の食べものを万能薬のように紹介したり、敵視したりするのですね。そして、「普及品には危険がいっぱい。だから、これを」と高価な商品を勧めるのです。 こうした手法を、私は「不安便乗ビジネス」と呼んでいます。不安扇動情報は、不安便乗ビジネスを太らせる道具に利用されます。>(61ページ)
    <――健康食品、ことにサプリメントは、薬と食品の境をあいまいにしがちです。 販売する側は、「医薬品ではありません。食品だから、(副作用の心配はなく)安全です」と根拠のないことを宣伝します。一方で、薬剤のような効能をほのめかすのです。健康食品は有望な市場と見なされ、食品業界も医薬品業界も熱いまなざしを注いでいます。>(64ページ)
    =====================

    「『情報』にどう向き合うか 伊勢田哲治」
    =====================
    <――それぞれの健康情報の前提になっている「科学(医学)的事実の信頼性」を、一般市民が判断する場合、どのような点がポイントになるのでしょうか。 ・・・・・
     科学の素人にも参考になるのが「反証主義」で、科学的な主張には反証可能性がなくてはならない、という考え方です。言い換えれば、「このような実験・観察結果が出たら、この仮説は放棄せざるを得ない」という条件がはっきりしていること、主張者がそうした態度を取ることです。
    ――反証とは、主張と矛盾するデータととらえてもいいですか。
     そうです。たとえばある薬に効果があると主張する時、被験者が「薬効がある」と思って服用したことによるプラシーボ(偽薬)効果だという証拠があればそれが反証になります。そのような過程を経ていないものを、あたかも確立された事実のように主張したり、不利な証拠を無視する態度を取る人がいたら、どんな(偉い)肩書きを持っている専門家でも、信用してはいけないですね。>(81〜82ページ)
    <――高価な健康食品などを販売するセミナーでは、「インチキくさいとお思いでしょう」と切り出して、「実は、私どもの商品は違うのです」「ではどう違うのか? このように違うのです」と巧みな話術を駆使する手法が見られます。
     当然でてくると思われる疑問や反論(不利な証拠)をあらかじめ挙げておいて、それを打ち消すもので、「譲歩構文」と言われる形です。反論をきちんと整理検討する上では、大いに意味がある論法ですが、譲歩構文の形で述べられているというだけで安心してしまう危険性もあります。受け手は、譲歩の中で反論がちゃんと列挙されているか、不利な根拠がきちんと打ち消されているかを充分に検討しなくてはなりません。>(86〜87ページ)
    =====================
     
    「ニセ科学への対応 左巻健男」
    ====================
    <還元水、活性水素水、波動水、クラスター(構造)が小さい水など、いかにも科学的な言葉ですよね。
    そこに落とし穴があるのです。 生半可な科学知識に見合った、シンプルで分かりやすい「科学話」をつくって、消費者を納得させるのです。こうした話は、一見科学的に見えるため、人々は抵抗なく受け入れて、高額なお金を支払ってしまうことになるのですね。>(93ページ)
    <――ニセ科学にだまされないポイントを話してください
     「魔法のような健康法がある」などと思わないことです。
    そういう時にこそ、常識に返ってください。(たとえ科学の知識は中途半端でも)現代社会の常識は、科学的なものの見方に支えられているのです。「ひとつのものを飲んだり食べたりすれば、あらゆる病気がなくなるなんておかしい」と、立ち止まって思い直すことが大切です。そもそも「○○は、○○にいい」と宣伝された健康関連商品で、長続きしているものはあまりないでしょう。
     体験談は、頭から信用しないことです。それによって本当に健康になったかどうかは、分かりませんし、もちろん科学的な根拠には遠い存在です。「実際に起きたことだから」といった体験談の落とし穴にはまらないことです。
     ニセ科学を信じてしまうと、周囲を巻き込んで加害者になることもあるのです。物事を懐疑的にとらえる姿勢が大切です。科学に対して、もっと興味関心を寄せ、科学の雰囲気を装った健康話などに惑わされない目を養っていきたいですね。>(96ページ)
    ====================

    「健康言説」の世界 野村一夫
    ====================
    < 健康食品などの効用をうたって販売に結びつける「バイブル商法」は、出版メディアや広告抜きには考えられません。
    プロポリス(ミツバチがつくり出すヤニ)をめぐる言説の研究をしたことがあり、プロポリス関連の本を二十冊ほど読みました。
    しかし、書かれていることは、ほとんど変わりません。どこかで発表されたものを引用した同じ情報が循環しているだけです。>
    (112ページ)
    ====================

    ■藤田一郎『脳ブームの迷信』
     本のテーマに関連して、藤田さんは、< 巷に流れる脳に関する不正確な情報を、英語では「neuromyth」(ニューロミス)と言い、「神経神話」と訳されますが、私はこれを「脳の迷信」と名付け、学生への授業、市民やジャーナリストへの講演会、ホームページ(「脳の迷信、脳のうそ〜神経神話を斬る〜」)を通じて、これまで微力ながら注意を促してきました。>(16ぺージ)とのことです。
    そして、<「人間は右脳型人間と左脳型人間に大別できる」というような風説や、ボケの防止や脳の機能向上に効くというふれ込みの商品や生活習慣を指南する本など、科学的根拠のない情報が平然と出回っています。私は脳に関する誤った情報が社会に浸透していく様子を目の当たりにし、脳科学の現場に身を置く誰かが、今の状況の問題点をはっきりと指南する必要があるのではないかと思うようになりました。>(6ページ)とのことで、<「世間でよく言われる『右脳はアナログ的で、直感・芸術・ひらめきに関係が深く、左脳はデジタル的で、論理思考・数学に関係が深い』というのは誤りと言っていい誇張ですよ。右脳型人間とか左脳型人間という言葉は脳科学には関係ありません」>(58〜59ページ)ということです。
     もちろん、男性・女性の違いで右脳と左脳のどちらかの機能が活発になるかなどもありえないでしょう。 昔、「話を聞かない男、地図が読めない女」なんていうベストセラーがあったから、そんな非科学な迷信が世間で言われているんでしょう。 また、東北大学の川島隆太さんの「脳トレ」批判をしていて、詳しくは下記サイトで関連引用が読めます。http://homepage.mac.com/donguriclub/meisin.html
     端的に言えば、
    ・脳の血流量の増加と機能の向上は別の話
     むしろ熟達すると脳の活動領域は狭くなる
    ・「脳が活性化する」=「元気になる」「機能が向上する」「若返る」という誤謬
     「活性化」というよりも「賦活化」Activation

    ということです。
     それから。
     以前、私が協力していたある学習イベントの出店で、頭が良くなるというふれこみで<ギャバ(GABA)>が入っているサプリメントを買ったことがあり、飲んでなんだか賢くなった気がしましたが、それはインチキだったことを知りました。
     昔、グルタミン酸を主成分とする<「味の素」を食べると頭が良くなる>という迷信があったそうで、<二〇〇〇年代に脳に効くとして登場した物質が、ギャバ(GABA)>ですが、DHAが豊富な<青魚を食べると頭が良くなる>と同様に迷信だとか。
     これらを経口摂取しても、脳の細胞に届く前に「血液脳関門」というチェック機能に阻まれ、神経細胞までほとんど届かないそうです。(42〜56ページ)
    まあ、脳に効くとかいうサプリメントはまやかしだと見て良いようですね。
     こんな脳ブームの迷信に、<なぜ脳科学者は沈黙してきたのか?>
    <物理学者には以前から非科学的な迷信を問題視し、積極的迷信を打ち消す活動をしている人たちがいます。
    私はそのような人から、「脳に関する非科学的言説が流布されている社会状況を野放しにしておいていいのか?」と問われたことがあります。しかし、これまで私も含めほとんどの脳科学者は沈黙を貫いてきました。>(88〜91ページ)とのことですが、沈黙してきた理由について、藤田さんは次のようにみています。
    <デマやごまかしは脳の話題に限ったことではないから>
    <「脳の迷信のほとんどが見え透いたまやかしであり、まともに反論する起こらない」>
    (<しかし、「怪しげな情報は無視していれば消えていく」という考えは楽観的に過ぎました。>)
    <戯れ言のようなまやかしであっても、反論するには相手の土俵で議論しなくてはなりません>
    (<つまり、不本意ながら問題となる書籍や商品を買い、詳しく検討した上で意見を公にしなくてはならないのです。
    次から次に出てくる口からでまかせに反論する労力は大変なもので、消えるまで放っておきたい気分になります。>)
    <他人の商売の邪魔をしたくない>
    <このようないろいろな理由から、脳科学者は沈黙し続け、脳の迷信は生まれ続けてきたのだと思います>とのことです。
     そんなことで、テレビでよく出ている「脳文化人」の断定的語りを鵜呑みにしないよう、科学リテラシーが必要なようですね。
     さて、藤田さんに批判された川島さんは、最近、『さらば脳ブーム』(新潮新書)という弁明の書を書いていますね。 この本では、藤田さんの本に反論(になっていないですが)を2箇所書いています。(36ページと85ページ」)
     全体として言い訳ばかりで反省がなさそうで、「おわりに」には、<「脳トレの川島」は、大学人としての川島隆太のごく一部でしかなく、脳トレ批判は私の首の後ろにあるホクロの色について何か言われているくらいの感覚でしかない(でも、何か言われれば当然面白くない)。いつか、本当の川島隆太の活動を、社会に紹介する機会を設けることができたらと思っている。>(191ページ)とまあ、言い訳にすらならない弁。
     「東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修 脳を鍛える大人のDSトレーニング」という商品名で、国立大学の自己の身分を冠してニセ科学的な商売に加担したことが、<ホクロの色>程度のものとしてしか考えられないとはね。 自分の名前を語って物を売ることについて、中身の問題は自分の責任ではないと言うなんて、科学者として以前に、人間としての責任倫理はどうなのかなと思いました。

    ■香山リカ・菊池誠『信じぬ者は救われる』(かもがわ出版社)
      お二人の対談にあたっての問題認識は、香山さんは「まえがき」によると、< スピリチュアルだけでなく、…カルト宗教や悪徳商法も…「ニセ科学」の背景にあるのも、同じ心理構造のはずだ。 だまされたっていいんだ。信じていたほうが気持ちもラクだし、夢もある。だから、種明かしなんてしないで放ってほしい……。そう望む人たちには、それ以上、何も言葉をかけてあげなくてもよいだろうか。私はそうは思わない。やはり私たち人間は、たとえそれが目にしたくないようなシビアな内容であったとしても、なるべく目を背けずに真実を追究する義務があるのではないか、と思うのだ。
     しかし、「スピリチュアルやニセ科学は正しくない」とその偽りを暴いて批判するだけでもいけない。科学的真理を主張するあまり、知らないうちに人の心を傷つけた科学や医学の責任、それからいま、十分にその機能を果たしているとは思えない宗教の責任についても、考える必要がある。>(3
    〜4ページ)
     そして、菊池さんは「あとがき」によると、< 僕たちがそんな「ニセ科学」問題に真剣に取り組み始めたのは、『水からの伝言』という奇妙な話がきっかけだった。「ありがとう」という言葉をかけた水は雪のような整った結晶をつくり、「ばかやろう」という言葉をかけた水ではそのような結晶ができないというその説は、どう考えてもナンセンスにすぎない。ところが、そのナンセンスがが多くの人に受け入れられて、小学校の道徳授業に使う先生までいるというのだ。水が言葉の意味や内容に影響されると言われて、高等教育を受けたはずの人までが信じてしまうという事実に、僕たちは驚くしかなかった。
     ここでの動機は、たぶん善意とか熱意とか、そういうものだ。だから動機は悪くない。悪くはないけれど、そういった正義感とか善意とかかが常識や合理的思考を曇らせる傾向はどうやらあるらしい。もっと言うと、少なからぬ人たちにとって、「信じる」と「信じたい」とが同義語なのだ。あるいは「信じたいこと」と「事実」が同義語だと言ってもいい。科学の問題だけではすまない悩ましさがそこにはある。>(156〜157ページ)
     内容については、対談なので、体系的な叙述ではなし、菊池さんも<対談を終えて、悩ましい部分が解決したのかといえば、そういうわけではない>(157ページ)と述べているように、問題解決の十分な処方になるものではないとは思いました。しかし、問題群の症状を理解するうえでとても勉強になりました。
     また、問題の症状が生まれてくる原因についても、明確ではないように思えました。
     菊池さんは、<ニセ科学が流行するというのは、実は科学だけの問題じゃなくて、もっと広く、二分法的な思考の単純化という世間の風潮があって、そのなかの一つの現象>(117ページ)と推測しています。
     ただ、ちょっとこの点の解明が消化不良の印象があって、香山さんも<二分割的思考>は<ボーダーライン・パーソナリティ>と<社会全体がボーダーライン化>していることと、<非常に至上主義的><経済>から流れているとの推測ですが、もう少し媒介項がないと論理の飛躍のような印象がぬぐえなかったですが。

     それはそれとして、たとえば、下記引用のような考察は、なるほどなと参考になりました。
        ↓
    ===============
    <個人的な体験に普遍的な意味を見いだす人びと>
    ・・・・・・・・・・・・・・・
    菊池 ホメオパシーについて、本当に科学的な結論を聞きたいなら、結論は簡単で、それはプラセボ(*)程度しかききませんよ、と答えたんですが、でもその人が言うには、「プラセボだったら動物には効かないはずですけど、うちの猫にきいたんです」と。
     (*)偽薬のこと。 薬のように見えるが薬の成分は入っていない。 薬だと信じませることで何らかの改善を図ろうとしていることをプラセボ効果という。
    ・・・・・・・
    それは個人的な体験として事実なんでしょう。自分でこれをしたらよかったんだという個人的な事実を大事にしたいんだったら、それを大事にすればいいと思うんですよ。だけどやはり科学的にも意味があると言ってもらいたいらしいんです。

    香山 効いたらならいいじゃないね。

    菊池 でも科学的な話をしろと言われたら、それはもうプラセボ効果しか効かなくて、猫に効いたといっても、本来の薬効として効いたわけではないとしか言えない。猫に効いたって言うけど、でもそれ二重盲検法じゃないからって話をするしかない。

    香山 自然治癒したかもしれないですしね。

    菊池 自然治癒もするだろうし、猫は飼い主の顔色を読むだろうから、二重盲検法にもなってない。だから科学的には何の意味はないんだけど、個人的な体験として大事にしたらいいんじゃないですかと、それで満足したらいいんではないですかという話をしたら、納得せずに帰られたんですけども。あくまでも自分にとっての真実であって、だから人に勧めるのはやめたほうがいいというところまで理解してくれれば、いいですが。・・・・・・・

    香山 やはりそれを普遍化したい、一般化したいんですよね。 感受性が強くて、感動できるとか、しやすい体質の人っているじゃないですか。私の学生でも、「最近とんでもないことがあってね」と言って、「水に『ありがとう』と書いた紙を見せると、こういう結晶ができるという説があるの」と言ったとたん、もう「すごい!」と感動しちゃって、そのあときいてないとかいう学生も結構いるんですよ。・・・・・・・
    それは、単純すぎるとかいうんじゃなくて、多分、『水からの伝言』そのものがセンサーを刺激してしまったら、そこで思考がストップして、その先は聞いていないんでしょう。

    菊池 僕らはそういうのを、よく「発火する」と言いますけど、発火しちゃうんですよね。

    香山 その人がちょうど悩んでいるときに、そういう話に出合ったりすると、奇跡だとか結びつけてしまうんじゃないですか。
    ・・・・・・・

    菊池 個人的な体験でころっといっちゃう人は、たくさんいます。それこそ昔から「物理学者ほどだましやすい人種はいない」っていわれていて、そうそうたる物理学者が手品を見せられて、超能力を信じたという話はたくさんあるんです。個人的な体験を客観化ができなかった人たちって、科学者のなかにもたくさんいるわけです。

    香山 個人的な体験って、やはりそれだけインパクトがあって、九九%は外れても、一個、何かの偶然で、「これは奇跡かも」っていいうことを体験しちゃうと、世界観も変わっちゃいますからね。
    ===============(76〜79ページ)

    ■藤原潤子著『呪われたナターシャ 現代ロシアにおける呪術の民族誌』を読んだところなので紹介します。
     藤原さんはソ連崩壊から10年を経た2002年にロシア連邦カレリア共和国で行なったフィールド調査をもとに、現代ロシアで、呪術など信じていなかった人びとが呪術を信じるようになるプロセスと、それに関わる社会的背景が分析されています。
     序章では、ソ連時代、呪術を含む宗教的なるものは、「モラリティ」と「リアリティ」の二つの観点から否定されたとされています。要約すると。
     モラリティの観点からは、宗教こそが「資本主義的奴隷制」を支え、人民による搾取階級との闘争を妨げており、呪術・宗教は詐欺的行為であり、これを廃して社会主義へ移行することこそが、全人類的なモラルの達成とみなされた。呪術・宗教への弾圧行為は、人民の社会的抑圧からの開放という名目で正当化された。
     リアリティの観点からは、呪術・宗教は社会主義政権がめざす科学的世界観の対極として語られた。レーニンは「宗教的信仰という無自覚、無知または蒙昧」に対して闘うことは全プロレタリア的問題であるとし、党として無神論教育をおこない、科学的世界観を宣伝していく決意を述べた。
     以上のように無神論政策は理念としては、搾取と迷信からの民衆の解放として語られたが、実際には、その動機は多分に政治的なものであり、時々の情勢により一貫性を欠いた政策が行われた。
     第一章で藤原さんは、ソ連時代には呪術などとりあわなかった過去をふり返り無念に思っているナターシャという女性の証言を次のように解釈しています。
    < ソ連時代は厳しい情報統制が敷かれた時代であった。政権に都合の悪い情報は隠され、操作されていたことは、今では誰もが知る事実である。一九八〇年代後半のペレストロイカ期以降、情報統制がゆるんだことによって言論の自由が広がり、スターリン時代の大粛清その他、かつて隠されていたさまざまな事実が明るみに出た。そして歴史解釈をめぐって、活発な論争が交わされるようになった。このような時代状況が、ナターシャに呪術の「リアリティ」を、ソビエト政権によって「隠されていた真実」であると認識させる素地となっている。呪術の否定はソビエト政権によっておこなわれた近代化政策のひとつである。しかしナターシャは自らの経験を通じて、これもまた旧政権によってなされた「間違い」、隠されていた「真実」のひとつとして発見したのである。>
    (109ページ)
     第三章では、
    < ソ連時代の無神論政策において、呪術は科学的根拠をもたない「迷信」として、その「リアリティ」を否定された。しかし現代ロシアでは、この言説に対抗する言説が生まれている。「呪術は科学的根拠をもつ、ゆえに迷信などではなくリアリティをもっている」という言説である。>(149ページ)
     ロシアの伝統呪術の原理を「超能力者」やオカルティストたちは、「科学的」説明で、祖先から伝えられてきた知識は正しかったのだという結論に導くわけだが、例えば、<ここでは、振動、量子、周波数などの物理用語を用いることによって、呪術の「リアリティ」が「科学」的に語られている。>(175ページ)などとして、呪術を信じるために「科学」が説明に持ち出されることについて、藤原さんは次のように説明しています。
    < ロシアに限らず現代世界において最も自明性を獲得している秩序は、言うまでもなく科学の秩序である。「科学」に訴えることは、他のあらゆるイデオロギー的、規範体系と同じく、ある信条や行為を正当化するものとして働きうる。ロシアの呪術は西洋のオカルト研究の文献に取り込まれることによって、「科学」的理論武装を得た。ただしここでロシアの特殊性を付け加えておくならば、ロシアに於いて科学の普及をおもに担ったのは、崩壊してまだ日の浅いソビエト政権であり、それが社会主義イデオロギーの文脈において推進されたことである。そのため、呪術は「蒙昧な迷信」などではなく「科学」的根拠をもつ実践であるという言説は、ソビエト政権の政策に対する批判につながる。呪いや邪視は不幸の原因として「科学」的に証明であるにもかかわらず存在しないものとされていた。呪文による病気治療にも「科学」的根拠があるにもかかわらず禁じられていた――このような「事実」を指摘することにより、かつての政策が間違いであったことが示唆される。その結果、呪術は無神論教育を受けた人をも、ときに取り込みうる力をもつようになったのである。>(176ページ)
      ではなぜ呪術に「科学」的根拠があるとされているかは、次のような循環論法になっているとされます。
    <…「科学的根拠(あるいは神の助け)があるから効く」という議論において、通常「証明」として提出されるのは、呪術が「効いた」という体験である。・・・・・・・・・
    まさに呪術・超能力が「効いた」ということが、その「リアリティ」を確信するうえで重要な役割を果たしている…
    つまり「効いたから科学的根拠があるのだ」「効いたから神は実在するのだ」というかたちで、呪術の「科学性」や神の「実在」が証明されているにすぎない。ここでも論理の正当性は検証されることなく、あたかも証明済みの事実であるかのように語られてしまうのである。>(182ページ)
     そして、 <超能力者たちの語りを解釈し、総括すれば、良い目的のための呪術は、神の意にかなう「科学的」実践であると言えるだろう。>(183ページ)ということになります。
      第四章では、ソ連政権以前から伝統的にあった呪術を信じる基盤にあった地縁共同体に代わるネットワークとして、<マスメディアが作りだす新たな呪術ネットワーク>があるとして、次のようにまとめています。
    < 革命前においては、呪術の語りは基本的に、村内などの地縁的なネットワークの中で、対面的に伝えられるものであった。しかし今ではマスメディアを媒介として、どんな辺鄙な村で起こった不思議な出来事も、全国レベルで広がることが可能になった。それがふたたび口頭で語られ、またさらにそのようなゆるやかなネットワークは、かつて地域レベルで共有されていた、呪術の「リアリティ」についての社会的合意に代わるものだといえる。現代ロシアにおいてはすでに、呪術など迷信であるとする人のほうが多く、村びと全員または都市住民全員というレベルでの合意はありえない。呪術の「リアリティ」に合意する人によって作りあげられたネットワークの中でのみ、呪術は生きつづけているのである。> (220〜221ページ)
     第五章では、ロシアの民族学にあっても、<シャーマニズムや呪術などの「リアリティ」を信じる立場こそが、イデオロギー的抑圧から解放されてる立場であり、より客観的でまともである――こういう考えが、一部の研究者のあいだに確信的に共有されているということである。>(245ページ)とのことです。
     終章では、地縁共同体に代わって誕生したゆるやかな呪術ネットワークでは、

    A.ロシア各地の呪術実践者
    B.実用目的のマスメディア情報
    C.学術目的のマスメディア情報
    この三者間で呪術情報・知識は循環し、この循環にはマスメディアが含まれるため空間を越えたものとなり、また、ロシア革命前から研究を積み重ねてきた民俗学者らの著作も含まれるため時間も越えているとされます。
     さらに、<しかし、困難な状況に陥ったことをきっかけとして呪術情報ネットワークに接触しはじめる者は、循環によって情報が同質化していることには気づかない。結果として、あちこちに情報すれば相談するほど、あるいはマスメディアで情報を参照すればするほど、これまでに与えられた情報の正当性を保証する者が増え、呪術の「リアリティ」への確信が深められていくことになるのである。>(254ページ)
     もちろん、<ロシア人が皆、呪術を信じているわけではない>のであり、<呪術など「迷信」であると考える人が多数派であり、アンケートで「呪術を信じる」と回答する人は七パーセントにすぎない。>しかし、<ロシア社会には随所に、呪術の「リアリティ」を保障する言説が埋め込まれている。今日、「呪術など信じない」と言っている人でも、未来においても同じかどうかはわからない。
    ひとたび解決しがたい不幸に見舞われれば、呪術のコスモロジーに絡めとられてしまう可能性は、十分にひらけているのである。>(254ページ)と締めくくられています。
     長々と引用しましたが、思うこととして。
     科学的真理を独占していた政治体制へのアンチであったオカルティズムが、既存の体制へのアンチであるだけで、その科学的根拠をまともに審問されずに<イデオロギー的抑圧から解放されている立場であり、より客観的でまともである><良い目的のための呪術は、神の意にかなう「科学的」実践であると言える>となってしまう、歴史のアイロニーというか。「ルイセンコ学説」的な科学が政治体制・イデオロギーによって正当化されたことへのアンチが、結局は「プチ・ルイセンコ」な流れにはまってしまうという。
     ロシアの文脈を外れて、日本を含めた他の先進国でも、現代医療の様々な問題の一つにある製薬企業・学会・政府とのダーティーに思える関係へのアンチが、ニセ科学的民間療法やワクチン陰謀説、「HIV/エイズ否認主義」を正当化させるとか。 陰謀国家アメリカを批判するために、そのアンチであるから陰謀論も容認するとか・・・ 
     「敵の敵」は「友」なりうるのか・・・・・・
     
    ■ダミアン・トンプソン『すすんでダマされる人たち』 (日経BP社 )ダミアン・トンプソン『すすんでダマされる人たち』
     インターネットが普及した今日にあって、科学リテラシー、メディアリテラシーを考える上で、とても意味深い本でした。
    冒頭のつかみはこうです。
       ↓
    <・合衆国政府は、複数の旅客機が世界貿易センターに衝突する計画をあらかじめ知っていた。
    ・子どもの自閉症とMMRワクチン(
    麻疹、耳下腺炎、風疹の3種混合ワクチン)接種の間には、なんらかの関連がある。
    ・中国艦隊は15世紀初めに世界を周航しており、コロンブスに先立つこと70年前にアメリカ大陸に到達していた。
    ・細胞の構造はひじょうに複雑なので、自然選択によって進化したはずがない。
    ここで紹介した4つの例は、一流の出版社から発行された本で紹介され、新聞でコラムニストたちが敬意を持って論じ、政治家がそれを引用し、インターネットでも広まっている。
    しかし、この4つはすべて事実無根、でたらめである。
     これが反知識(カウンターナレッジ)、要するに「がせねた」だ。
    見せかけの巧妙さのおかげで、現在こうした知識が世界中に氾濫している。・・・・・・・・・
     21世紀に生きる私たちの武器は、科学や歴史に関する情報の真偽を確かめる方法が、昔とは比べものにならないほど発達していることだ。だが、不思議なことに、ごく基本的な検証にも耐えられない情報に、多くの人があっさり飛びついてしまう。「反知識(カウンターナレッジ)」には「知識(ナレッジ)」という言葉が入っているが、厳密には知識ではない。反証をあげたり、その主張を裏づける証拠の欠如を示すことで、ウソだと証明できる。つまり、カウンターナレッジの提供者は、事実でないことを事実として発信することによって、(故意かどうかはともかく)現実を歪曲しているのである。>(6〜7ページ)
     こうした書き始めで、カウンターナレッジの代表例として、9・11陰謀説について『ルース・チェンジ』など挙げて反証されています。
     使い古された陰謀説の数々が述べられていますが、<米空軍があの朝、ジェット戦闘機による警戒態勢を解除していたという「事実」>については、<空軍はジェット戦闘機による「警戒態勢を解除した」のではなく、テロリストがハイジャックした旅客機のトランスポンダーを切ったために、その時点でアメリカ領空にいた4500機の中から被害にあった旅客機を地上レーダーで探知することができなくなり、迎撃できなかった>(10ページ)ということだそうで。
     奥菜秀次さんの『陰謀論の罠』でもふれらているように、<ホロコースト否定論者と9・11陰謀論者が重複しているのは驚くにあたらない>とも。『スケプティック』誌の編集者、マイケル・シャーマーも、<「一握りの不可解な出来事によって、すでに確立した説が根底から揺らぐといった誤った信念が、すべての陰謀論(創造論、ホロコースト否定論、物理学のでたらめ説)の根底にある。9・11陰謀説のあらゆる『証拠』も、この範疇に属する」>(17ページ)とか。
     そして、トンプソンは、次のように考察しています。
    <9・11陰謀説、創造論、ホロコースト否定論、シャーマーが指摘した物理学のでたらめ説―これらはすべて「カルト環境」から生まれている。さらにつけ加えるなら、UFO、星占い、臨死体験、ミラクルダイエット、聖書の予言があげられるだろう。こうした考えは、程度の差こそあれ体制側から排斥されており、それがまた大きな魅力となる。体制に反抗するカウンターカルチャー的な信念を抱くと、それまで知らなかった刺激的な世界が広がってくるからだ。・・・・・・・・・・・・・
     私がカルトの恐ろしさを知らされたのは、1996年にオウム真理教の取材のために日本に行ったときだった。・・・>(19〜20ページ)
     「ソーカル事件」に象徴的なポストモダニズムの影響、エイズはCIAの陰謀とかやら、ホメオパシーやら、「反知識」の事例はたくさん挙げられているわけですが、このようなデマ話がこの頃幅をきかせているのは、<インターネットのおかげでカルトの発信する情報は世界中を駆けめぐるようになった>(21ページ)から。
       ↓
    <啓蒙思想の方法論は、インターネットが普及するはるか以前から、資本主義や反体制文化の攻撃を受けてきた。だが、インターネットという新しい媒体が、知識の個人化を急速に進め、単なる幻想を「仕掛品」に変えるようになったのは事実だ。言い換えれば、インターネットを通して世界中の人が無意識のうちにポストモダンの相対主義に染まっていったのである。サイエントロジーのスローガンを借りるなら、「あなたにとって事実なら、それは事実だ」というわけだ。さらにインターネットのおかげで、どんな奇抜な思いつきだろうと、それに賛同する人とつながれるようになった。>(183ページ)
    そして、<長期的に見れば、インターネットによる真の脅威は、実証に基づく検証法が確立されていない社会にデマをばらまくことだ。>(186ページ)ということで。
     他方、トンプソンも<21世紀に生きる私たちの武器は、科学や歴史に関する情報の真偽を確かめる方法が、昔とは比べものにならないほど発達している>と冒頭述べているように、インターネットで少し調べれば、デマ話かどうかはすぐに分かる時代になっているわけで。
     しかしながら、インターネットで情報は無数に調べられるのに、なんでこんなことになるのか? どうやら、近代資本主義が引き起こした<新たな解放と負担>による意識の変容があるようで。
        ↓
    <ボストンの社会学者、ピーター・バーカーの言葉を借りるなら、社会は「運命から選択へ」確実に移行しているのである。
    近代資本主義によって、すべての制度が崩壊の危機に瀕しており、その中には公共放送局や家族経営企業といった権威がそれほど明確でないものも含まれる。そして、どんな変化にも必ず、新たな解放と負担をもたらすという両面の可能性がある。
    こうして、個人の経験という主観的な側面が、客観性に取って代わるということになる。 イギリスの社会学者、アンソニー・ギデンズによると、現代人はいやおうなく「自己の再帰的プロジェクト」にかかわることになるという。コミュニティの崩壊、電子メディアの圧倒的な存在、遠隔地の出来事がもたらす日常生活への影響力、ライフスタイルにおける選択肢の豊富さ。私たちの祖父母には思いもよらなかったことばかりだ。現代に生きる私たちは、自分がどういう人間かという選択をたえず迫られる。しかも、毎日のように新たな可能性が出てくるから、やっと選択しても、またすぐ改訂しなければならない。つまり、私たちはいつまでも未完成の「仕掛品」なのだ。>(173ページ)
     <個人の経験という主観的な側面が、客観性に取って代わるということになる>ということは、「後期近代」あるいは「ハイモダニティ」とか言われる「近代の過剰」は、「ポストモダン(近代以降)」であるようで、じつは啓蒙主義以前の「プレモダン(前近代)」への回帰なのか?そんなこと思いました。

     
    ■科学リテラシー向上のための参考文献



    『もうダマされないための「科学」講義』(光文社新書)
    荻上チキ『検証 東日本大震災の流言・デマ 』(
    光文社新書)
    菊池誠『科学と神秘のあいだ』(筑摩書房)
    渋谷研究所X+菊池誠『おかしな科学 みんながはまる、いい話コワい話』(楽工社)
    香山リカ・菊池誠『信じぬ者は救われる』(かもがわ出版社)
    ASIOS編『検証 大震災の予言・陰謀論』(文芸社)
    ASIOS、奥菜秀次、水野俊平・著 『検証 陰謀論はどこまで真実か』(文芸社)
    ASIOS編『謎解き 超科学』(彩図社)
    香山リカ『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』(幻冬舎新書、2006)
    サイモン・シン、エツァート・エルンスト著 青木薫訳『代替医療のトリック』(新潮社)
    飯島裕一著『健康不安社会を生きる』 (岩波新書)
    カール・セーガン 『悪霊にさいなまれる世界 「知の闇を照らす灯」としての科学』
    セス・C・カリッチマン/著 野中香方子/訳 『エイズを弄ぶ人々 疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇』(化学同人、2011年1月)
    藤原潤子著『呪われたナターシャ 現代ロシアにおける呪術の民族誌』
    ダミアン・トンプソン『すすんでダマされる人たち』
    岩田健太郎『予防接種は「効く」のか? ワクチン嫌いを考える』
    藤田一郎『脳ブームの迷信』
    山本弘『ニセ科学を10倍楽しむ本』
    斉藤貴男『カルト資本主義』
    奥菜秀次『陰謀論の罠 「911テロ自作自演」説はこうして捏造された』
    アーサー・ゴールドワグ 『カルト・陰謀・秘密結社 大事典』(河出書房新社)
    安齋育郎『だまし世を生きる知恵 科学的な見方・考え方』
    安斎育郎『だからあなたは騙される』(角川書店、 2001 年)
    松永和紀『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』(光文社新書)
    中西準子『食のリスク学−氾濫する「安全・安心」をよみとく視点』(日本評論社 2010年)
    左巻建男『水はなんにも知らないよ』(ディスカバー21)
    テレンス・ハインズ『ハインズ博士「超科学」をきる Part1,2 』 (化学同人)
    マイケル・W・フリードランダー『きわどい科学』(白揚社)
    マイクル・シャーマー『人はなぜニセ科学を信じるのか』(早川文庫)
    高橋久仁子『フードファディズム―メディアに惑わされない食生活』 (シリーズCura)
    マーティン・ガードナー『奇妙な論理』
    と学会『タブーすぎるトンデモ本の世界』(サイゾー)
    シェリー・シーサラー『「悪意の情報」を見破る方法 』(ポピュラーサイエンス)

     

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