小出先生 ラジオフォーラム2015/6/20のお話(核の危険性を知り、核を止めるために41年間闘った)&軍装屋から見た戦後70年、前川裕弘さんのお話
永岡です、第128回ラジオフォーラム、今週はジャーナリストの今西憲之さんの司
会で東京から放送されました。今週も三角山放送局で聞いて、前番組に出ておられる
スタッフの丸山哲秀さん、真実がわかる番組と言われました。
…で、メッセンジャー、エエぞ!上本、エエぞ!(野球に興味のない方誠に申し訳
ありません(笑))
北陸志賀原発の活断層を見て、今西さんビックリ、これを長く隠しており、原子力
マフィアはごまかすのに長けていると言われました。
今回のゲストは、東京で旧陸海軍が身に着けていたもの(軍服、軍刀など)を扱う
神保町軍装店(http://www.jimboucho-gunsouten.com/ )を営む軍隊屋の前さんこ
と、前川裕弘(やすひろ)さんです。
前半のお話、今西さんとも長い付き合いで、軍装屋は、幕末〜1945年の日本の軍隊
が身に着けていたもの(皇族含む)を扱い、日本が経験した戦争で生み出されたもの
を販売され、24年続けて、もともと大阪で経営して、軍隊屋はミリタリーショップ、
米軍の品物や、複製品のものは東京でもあり、しかしこの2,3年で日本の専門店は前
川さんの店のみになった。
骨董品ではなく、日本の軍人の持つものを展示し、店には軍服、飯盒、軍刀、軍用
銃(撃てなくしている)を扱い、電話もジャンジャン鳴り、買い取ってくれというも
ので、ネットは介さず、買い取りを依頼されるのは、旧日本軍の3〜4代目で、20代後
半〜30.代の人もあり、神保町の商品の7割は東京で持ち込まれたもの。
祖父が高い階級の人で、中将であった場合もあり、没落していないと、高級住宅地
に家があり、80坪以上の家で、なぜ戦後70年、こんなものが今頃と言うものもあり、
戦後、普段着がなく、1945年8月15日で時間が止まり、皇族のものも来ている。
今もある叙勲、戦時はあり、軍服など装備品は捨てられても(置くところがな
い)、勲章はかさばらず、置いており、集めている世代が交代し、値段も下がった。
決済は現金で、今まで買い付けをして、70年以上の前のもの、手を入れておく。
前川さんのお店には、外国の客も来て、また中学生も来て、来るのは右翼系の人で
はなく、集めるのが軍装品であり、その中、軍装品として、歴史、近代史を伝えるの
は大事で、日本は戦争に負けて、体験者は思い出したくない中、軍装品を扱うのは、
小学校時代、店の母親を手伝い、その中、軍装品屋を志した。
小出裕章ジャーナル、今週の小出先生のお話は、3月27日の大阪での公開収録からの
ものです。
1968年に東京→東北大に行かれて、この会場には小出先生と同世代の人もあり、子
ども時代に鉄腕アトム、妹はウラン、兄はコバルト、これから原子力の時代、化石燃
料はなくなると言われて、中学・高校で信じたが、しかし1968年=大学紛争時代で、
小出先生は右翼チック、学生服を着て、一つも授業を逃さない、今考えたら愚かで?
あった。大学闘争も知らずに勉強していた。
それで、東北大で学ぶと、東北電力が女川原発を作ることになり、当時はありがた
いと思ったのに、電気を使う仙台ではなく、僻地の女川に立てて、女川の人が、なぜ
電気を使う仙台に立てないのかといい、小出先生はそれに答えるべきと思った。
大学闘争で、自分のやっている学問の社会的な意義を問うことになり、小出先生の
原子核工学について答えるべきとなり、今思うと、答えは簡単、原発は都会に建てる
のには危険だった=僻地に押し付けたわけで、なら、原発を止めさせるべく、人生を
180度変えた。
しかし、当時の学生は、原子力マフィアに入る道を選び、大学は出世すべきとする
価値観があり、大学を出ていい企業にとなり、しかし大学闘争があり、小出先生の周
りは社会的地位を捨てて、自分たちの生き方を求める道を選んだ仲間はたくさんい
て、それでも、小出先生の選択が正しかったか、わからない。
小出先生の「人生最大の過ちは、原子力に夢を持ったこと」で、自分の愚かな選択
の落とし前は、原子力の場に残り、原子力を止めさせることにして、41年の職場で解
雇もされず、やりたいことを続けられた恵まれた人生であったと言われました。
(永岡注:私も小学校の国語の教科書で、核エネルギーは素晴らしいと教えられ、一
時は信じて原発に賛成したものの、大学で反核・平和運動にかかわると、それらが全
て嘘と知り(小学校の教科書に載っていた記述は、安倍総理がノーベル平和賞をもら
うと言うに等しいもの)、それ以来核と対峙しています、私の専門は物理と化学です
が、小出先生の思いはよくわかります)
その女川、3・11で事故はなく、現地で安全神話が復活したのは、小出先生には馬
鹿げたことで、福島は発電所の全電源喪失、外部からの電源も来ず、しかし女川は一
系統のみ電気が生きていて助かり、しかし外部電源の生死は誰にも分らず、ただの偶
然で、女川が安全ではないのです、以上、今週の小出先生のおはなしでした。やり取
り全文は以下にあります。
http://www.rafjp.org/koidejournal/no128/
ここで音楽、巨勢典子のピアノで、写真の中のあなたの笑顔、です。
後半のお話、買い取り件数は増えて、住宅環境+少子化で、引き継ぐ人がいなくな
り、今まで残っていたのも不思議で、存在理由が変わってきた。前川さんの店には、
銃痕、血痕のある品物もあり、生きて日本に帰ってきたから残っており、15年戦争で
できたものを、残すために、前川さんに売る、寄贈するものは1〜2%。
位牌も持ち込まれ、商売にならないのに、これは前川さん、趣味で集めているので
はなく、NPOにもなれず、日本には軍事博物館がなく、敗戦国のドイツ、イタリア
にはあるので、前川さん、私設軍事博物館になった。
この1.5〜2年に来たものも多く、品物も前川さんお持ちで、関学から来た、日独
ホッケー対抗戦、1941年のもの、ハーケンクロイツのマークも入り、ドイツ語の表記
もあり、日独のホッケーの試合の時のものが残っていた。
日本とドイツの親善が、戦時中に意味があり、日独青少年、ヒットラーユーゲント
の日本版で、100個も作られず、貴重なもの、こういうものは、ヨーロッパでは歴史
的遺物として捉えられ、しかし日本では扱われない。
他にも、懐中時計、ヨーロッパ製、銀製のもの、南方(シンガポール)での警備学
校の生徒が首席で卒業し、寺内元帥よりもらったもの、時計は1日5秒の誤差で動き、
シンガポール→ビルマに行った。これは、敗戦後、戦勝国に没収されかねないもの
を、隠して日本に持ち帰り、これは娘さんには、父親の思い出になる。この時計、ハ
マグリ傷、ビルマでついたもので、これも記録になる。
父親は戦争について、娘に語らず、ただしビルマには、慰霊に個人的に行き、この
部隊は70%壊滅した(コレラ+飢え死に)中、生き残った。
この他、大正〜昭和の大礼の時に、大礼式の棺を担ぐものの、銀バッヂもあり、菊
の紋章が細工され、当時、政治家でもあまり持っていない、キャリア中のキャリアし
か持っていない。
バッヂに、思いが残っているのです。歴史的に貴重で、根拠のある品物で、出てく
る(買い取る)ものは、日本の戦前、戦中の歴史を語り、日本軍の歴史を語るので
す。
敗戦から70年、日本は戦争しないとしてきたものの、こういう軍装品が出ない世の
中であってほしいと前川さんも思われ、大正時代の人と(中曽根氏ら)、その後の人
では考えも違い、日本が戦後、混乱期〜復興期〜バブル期に、日本を再建した人は亡
くなり、そして、戦争体験者の遺物は、軍隊への思いは様々ではあるが、軍隊の復活
は戦後なく、今の風潮への危惧を語られました。
前川さんのお店で、近代史を語るのに大切で、こんなものが2度と出てほしくな
く、しかし、70年前のものと向き合い、考えるべきなのです。前川さんのお店は東京
駅からタクシーでワンメーターです。以上、前川さんのお話でした。
みんなジャーナル、今週はリスナーのお便りの特集です。
様々なリスナーよりの声、毎回興味深い方のインタビューがあり、今、日本には長
いものに巻かれろ的で、原発、集団的自衛権、沖縄の基地にものが言いにくく、ラジ
オフォーラムは自由な空気があるという声がありました。
ラジオフォーラムでは、なかなか声を上げにくい人をゲストに呼び、安田弁護士
や、仙波さんなどは、マスコミが警察を敵に回せず、警察が嫌がる仙波さんの声を今
西さん届けたく、それも短時間ではなく、長い時間して、また陸山会事件について
も、元秘書の石川さんも、裁判で主張したのに、マスコミではちゃんと取り上げられ
ず、石川さんの無罪主張は理にかなうのにマスコミで報じられず、だからラジオ
フォーラムで取り上げ、この姿勢は、これからもやると、今西さん締めくくられまし
た。
今週のラジオフォーラム、前川さんのお店も今西さん、時々行かれて、軍装品、武
器から様々なものがあり、これらを見て、しみじみと、戦争の歴史はこれで終わらせ
たい、2度とこんなものない日本にして、後世に残すべき、前川さんも戦争の悲惨さ
を伝えられ、今西さんも、伝えたいと言われました。
ラジオフォーラムで、こういうテーマをこれからも伝えます、以上、今週のラジオ
フォーラムでした。
会で東京から放送されました。今週も三角山放送局で聞いて、前番組に出ておられる
スタッフの丸山哲秀さん、真実がわかる番組と言われました。
…で、メッセンジャー、エエぞ!上本、エエぞ!(野球に興味のない方誠に申し訳
ありません(笑))
北陸志賀原発の活断層を見て、今西さんビックリ、これを長く隠しており、原子力
マフィアはごまかすのに長けていると言われました。
今回のゲストは、東京で旧陸海軍が身に着けていたもの(軍服、軍刀など)を扱う
神保町軍装店(http://www.jimboucho-gunsouten.com/ )を営む軍隊屋の前さんこ
と、前川裕弘(やすひろ)さんです。
前半のお話、今西さんとも長い付き合いで、軍装屋は、幕末〜1945年の日本の軍隊
が身に着けていたもの(皇族含む)を扱い、日本が経験した戦争で生み出されたもの
を販売され、24年続けて、もともと大阪で経営して、軍隊屋はミリタリーショップ、
米軍の品物や、複製品のものは東京でもあり、しかしこの2,3年で日本の専門店は前
川さんの店のみになった。
骨董品ではなく、日本の軍人の持つものを展示し、店には軍服、飯盒、軍刀、軍用
銃(撃てなくしている)を扱い、電話もジャンジャン鳴り、買い取ってくれというも
ので、ネットは介さず、買い取りを依頼されるのは、旧日本軍の3〜4代目で、20代後
半〜30.代の人もあり、神保町の商品の7割は東京で持ち込まれたもの。
祖父が高い階級の人で、中将であった場合もあり、没落していないと、高級住宅地
に家があり、80坪以上の家で、なぜ戦後70年、こんなものが今頃と言うものもあり、
戦後、普段着がなく、1945年8月15日で時間が止まり、皇族のものも来ている。
今もある叙勲、戦時はあり、軍服など装備品は捨てられても(置くところがな
い)、勲章はかさばらず、置いており、集めている世代が交代し、値段も下がった。
決済は現金で、今まで買い付けをして、70年以上の前のもの、手を入れておく。
前川さんのお店には、外国の客も来て、また中学生も来て、来るのは右翼系の人で
はなく、集めるのが軍装品であり、その中、軍装品として、歴史、近代史を伝えるの
は大事で、日本は戦争に負けて、体験者は思い出したくない中、軍装品を扱うのは、
小学校時代、店の母親を手伝い、その中、軍装品屋を志した。
小出裕章ジャーナル、今週の小出先生のお話は、3月27日の大阪での公開収録からの
ものです。
1968年に東京→東北大に行かれて、この会場には小出先生と同世代の人もあり、子
ども時代に鉄腕アトム、妹はウラン、兄はコバルト、これから原子力の時代、化石燃
料はなくなると言われて、中学・高校で信じたが、しかし1968年=大学紛争時代で、
小出先生は右翼チック、学生服を着て、一つも授業を逃さない、今考えたら愚かで?
あった。大学闘争も知らずに勉強していた。
それで、東北大で学ぶと、東北電力が女川原発を作ることになり、当時はありがた
いと思ったのに、電気を使う仙台ではなく、僻地の女川に立てて、女川の人が、なぜ
電気を使う仙台に立てないのかといい、小出先生はそれに答えるべきと思った。
大学闘争で、自分のやっている学問の社会的な意義を問うことになり、小出先生の
原子核工学について答えるべきとなり、今思うと、答えは簡単、原発は都会に建てる
のには危険だった=僻地に押し付けたわけで、なら、原発を止めさせるべく、人生を
180度変えた。
しかし、当時の学生は、原子力マフィアに入る道を選び、大学は出世すべきとする
価値観があり、大学を出ていい企業にとなり、しかし大学闘争があり、小出先生の周
りは社会的地位を捨てて、自分たちの生き方を求める道を選んだ仲間はたくさんい
て、それでも、小出先生の選択が正しかったか、わからない。
小出先生の「人生最大の過ちは、原子力に夢を持ったこと」で、自分の愚かな選択
の落とし前は、原子力の場に残り、原子力を止めさせることにして、41年の職場で解
雇もされず、やりたいことを続けられた恵まれた人生であったと言われました。
(永岡注:私も小学校の国語の教科書で、核エネルギーは素晴らしいと教えられ、一
時は信じて原発に賛成したものの、大学で反核・平和運動にかかわると、それらが全
て嘘と知り(小学校の教科書に載っていた記述は、安倍総理がノーベル平和賞をもら
うと言うに等しいもの)、それ以来核と対峙しています、私の専門は物理と化学です
が、小出先生の思いはよくわかります)
その女川、3・11で事故はなく、現地で安全神話が復活したのは、小出先生には馬
鹿げたことで、福島は発電所の全電源喪失、外部からの電源も来ず、しかし女川は一
系統のみ電気が生きていて助かり、しかし外部電源の生死は誰にも分らず、ただの偶
然で、女川が安全ではないのです、以上、今週の小出先生のおはなしでした。やり取
り全文は以下にあります。
http://www.rafjp.org/koidejournal/no128/
ここで音楽、巨勢典子のピアノで、写真の中のあなたの笑顔、です。
後半のお話、買い取り件数は増えて、住宅環境+少子化で、引き継ぐ人がいなくな
り、今まで残っていたのも不思議で、存在理由が変わってきた。前川さんの店には、
銃痕、血痕のある品物もあり、生きて日本に帰ってきたから残っており、15年戦争で
できたものを、残すために、前川さんに売る、寄贈するものは1〜2%。
位牌も持ち込まれ、商売にならないのに、これは前川さん、趣味で集めているので
はなく、NPOにもなれず、日本には軍事博物館がなく、敗戦国のドイツ、イタリア
にはあるので、前川さん、私設軍事博物館になった。
この1.5〜2年に来たものも多く、品物も前川さんお持ちで、関学から来た、日独
ホッケー対抗戦、1941年のもの、ハーケンクロイツのマークも入り、ドイツ語の表記
もあり、日独のホッケーの試合の時のものが残っていた。
日本とドイツの親善が、戦時中に意味があり、日独青少年、ヒットラーユーゲント
の日本版で、100個も作られず、貴重なもの、こういうものは、ヨーロッパでは歴史
的遺物として捉えられ、しかし日本では扱われない。
他にも、懐中時計、ヨーロッパ製、銀製のもの、南方(シンガポール)での警備学
校の生徒が首席で卒業し、寺内元帥よりもらったもの、時計は1日5秒の誤差で動き、
シンガポール→ビルマに行った。これは、敗戦後、戦勝国に没収されかねないもの
を、隠して日本に持ち帰り、これは娘さんには、父親の思い出になる。この時計、ハ
マグリ傷、ビルマでついたもので、これも記録になる。
父親は戦争について、娘に語らず、ただしビルマには、慰霊に個人的に行き、この
部隊は70%壊滅した(コレラ+飢え死に)中、生き残った。
この他、大正〜昭和の大礼の時に、大礼式の棺を担ぐものの、銀バッヂもあり、菊
の紋章が細工され、当時、政治家でもあまり持っていない、キャリア中のキャリアし
か持っていない。
バッヂに、思いが残っているのです。歴史的に貴重で、根拠のある品物で、出てく
る(買い取る)ものは、日本の戦前、戦中の歴史を語り、日本軍の歴史を語るので
す。
敗戦から70年、日本は戦争しないとしてきたものの、こういう軍装品が出ない世の
中であってほしいと前川さんも思われ、大正時代の人と(中曽根氏ら)、その後の人
では考えも違い、日本が戦後、混乱期〜復興期〜バブル期に、日本を再建した人は亡
くなり、そして、戦争体験者の遺物は、軍隊への思いは様々ではあるが、軍隊の復活
は戦後なく、今の風潮への危惧を語られました。
前川さんのお店で、近代史を語るのに大切で、こんなものが2度と出てほしくな
く、しかし、70年前のものと向き合い、考えるべきなのです。前川さんのお店は東京
駅からタクシーでワンメーターです。以上、前川さんのお話でした。
みんなジャーナル、今週はリスナーのお便りの特集です。
様々なリスナーよりの声、毎回興味深い方のインタビューがあり、今、日本には長
いものに巻かれろ的で、原発、集団的自衛権、沖縄の基地にものが言いにくく、ラジ
オフォーラムは自由な空気があるという声がありました。
ラジオフォーラムでは、なかなか声を上げにくい人をゲストに呼び、安田弁護士
や、仙波さんなどは、マスコミが警察を敵に回せず、警察が嫌がる仙波さんの声を今
西さん届けたく、それも短時間ではなく、長い時間して、また陸山会事件について
も、元秘書の石川さんも、裁判で主張したのに、マスコミではちゃんと取り上げられ
ず、石川さんの無罪主張は理にかなうのにマスコミで報じられず、だからラジオ
フォーラムで取り上げ、この姿勢は、これからもやると、今西さん締めくくられまし
た。
今週のラジオフォーラム、前川さんのお店も今西さん、時々行かれて、軍装品、武
器から様々なものがあり、これらを見て、しみじみと、戦争の歴史はこれで終わらせ
たい、2度とこんなものない日本にして、後世に残すべき、前川さんも戦争の悲惨さ
を伝えられ、今西さんも、伝えたいと言われました。
ラジオフォーラムで、こういうテーマをこれからも伝えます、以上、今週のラジオ
フォーラムでした。
- 2015.06.21 Sunday
- テレビ・ラジオ情報
- 08:54
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- by 市民社会フォーラム