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毎日放送ラジオ 報道特別番組、毒ガス島(2015/12/27)

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    永岡です、毎日放送ラジオの特別番組、毒ガスの島が放送されました。8月に報道するラジオで取り上げ
    られた、広島の、大久野島のことで、ナレーションは上田崇順さんです。
     咳、痰が出て、体の繊毛がなく痰がたまるというものであり、取材中も咳き込む伊藤さん(92歳)、70
    年以上慢性の咳、痰に苦しみ、これは毒ガスのためであり、肺をやられて、後遺症として残り、坂道を上
    がるのもしんどく、走れないのです。戦時中に毒ガス製造に関わった後遺症であり、医師も慢性の炎症、
    毒ガス製造に携わった方のものと言われます。
     この毒ガスの島は、広島の大久野島、瀬戸内の無人島で、海外から観光客が野生のうさぎ目当てに来
    て、うさぎが野生化して800匹いて、うさぎの楽園は、かつて日本最大の陸軍の毒ガス工場があり、研究す
    る山内さん、毒ガス工場を案内されて、イペリットなどの猛毒、1929年に完成し、1942年が製造のピーク
    で、地方の島=漏れても害は少ない+機密も守れるで、軍事機密、地図にもなく、列車から見えないよう
    にされ、山内さん、5つの毒ガスが作られて、糜爛性のガス、ついた細胞を腐らせて、中も侵食する悲惨な
    兵器で、他息苦しくなり動けなくなるガス(そこで相手を殺す)もあり、イペリット(マスタードガ
    ス)、液体で砲弾に詰めて、気化して相手に被害であり、毒ガスは中国に送られて、日本は少なくとも
    2000回毒ガスを使用して、8万人殺傷された記録で、毒ガス=皆殺し=兵隊だけでなく、市民も殺され、日
    本政府はイペリットの使用を認めていません。
     毒ガスは第1次大戦で、ドイツ軍が使い始めて、その後非人道性から1929年に使用禁止、しかし日本は批
    准せず、今後の戦争に備えて、なのです。
     中国での被害+大久野島での工員の被害、先の伊藤さん、水疱で手に傷跡、1941年に工場に就職し、担
    任の先生は火薬工場と言ったものの、毒ガス工場と知らされず、工場で働き、当時、色の黒い人が多く、
    どす黒く、すすを塗ったようなものであり、伊藤さんはガスマスクを工場長から渡されて、防毒マスク、
    毒ガスを作るとそこで知らされて、ビックリであり、それほど秘密が保たれて、伊藤さんは工業高校で化
    学を学び、新しい毒ガスの研究もして、工員が黒いのは、汗にガスが溶け込んで、ガスマスクの境目から
    入り、黒くなるもので、伊藤さんも黒くなり、ガス焼け、危険な仕事であり、汗をかきやすい部分に水膨
    れで、6600人の工員で、傷害の出る人もあり、伊藤さんもイペリットがこぼれて負傷して入院したことも
    あり、ひどく腫れて、毒性はイペリットだと強く、冬、痛くて、手袋して、大変であり、痛く、イペリッ
    トは痛いのです。
     大久野島では、毒ガスの知識を持つ技術者を養成し、今88歳の藤本さん、化学式を今でも覚えておられ
    て、藤本さん、経済的に進学できず、ここで働き、大久野島だと働きながら勉強できると言うので、中国
    に勝ったと言われていた時、毒ガスを作るのは、英雄だと、軍人の教官は敵を弱める、殺さない人道的な
    ものと嘯き、藤本さんは糜爛性のガスのところに配属されて、毒ガスは危険で、バルブの操作も叩きすぎ
    ると原液が散り、防毒マスクをしていても入り、針で突き刺すような痛みで、洗ってもダメ、一旦つくと
    中和できず、水疱ができる被害を受けられました。
     そして、1945年8月15日、日本は敗北し、玉音放送があり、戦争は終わり、大久野島に3000トン、16000
    発の毒ガスの処理が連合軍の指揮の元で始まり、帝人がやったものの、戦後処理で、これは危険だという
    教育が工員に十分されずに処理され、知識のない工員が被害で、上半身裸の作業の記録もあり、毒ガスの
    危険性は知らされず、800人の、新たな工員が知識もなく、5年前に亡くなった末国さんも、ここに関わ
    り、大久野島では毒ガスを戦車を運ぶ船で運ぶものの、船が流されて、しかし大国さんがそれを救おうと
    海に飛び込むと毒液が充満しており、そんなこととは知らず、水疱が出来て、化膿し、悲惨であるので
    す。
     船と毒ガスをつなぐパイプが壊れて海に漏れて、一時は生死をさまよったものの、何とか生き残り、し
    かし多くの工員が被害で、戦後、被害をずっと受けてきたのです。
     広島の病院で、大久野島と本土を結ぶところにあり、伊藤さんはここで検査を年1回受けて、過去の影響
    は今もあり、プラーク、肺をかこっているところに、石綿で起こるようなものもあるのです。伊藤さん、
    毒ガスで働いて、慢性器官炎を患い、医師は、慢性の気管支炎が多く、1年咳、痰が出るもので、呼吸器障
    害→肺炎になり、在宅で酸素療法も多く、呼吸不全で亡くなる人も多く、気管支の繊毛で毒物を出すの
    に、毒ガスで繊毛がなくなり、毒を出せない+毒ガスによるガンもあり、慢性炎症は毒ガス工場で働いた
    人に多い。
     さらに、染色体の異常がガンの原因で、女子挺身隊にもガンがあり、伊藤さん、島全体が毒ガスに覆わ
    れていたためと言われて、毒ガス工場の排ガスが、風がないと、島全体が包まれて、島にいる人に被害
    で、救済は1954年から始まり、しかし被害者と認められるには毒ガス工場での勤務歴を審査会に認めても
    らう必要があるのに、その時大久野島にいたことを国が把握できない、秘密の工場で、勤務者の名簿がな
    く、記録がなく、毒ガス工場で働いたことを証明するのは困難。敗戦で軍が資料を処分し、島で働いてい
    た人の人数は不明で、予算もなく、救済される人は少なく、多くの人が死んでいったのです。

     中国の黒竜江省、日本人医師による治療が行われ、日本軍のガスによる被害者を救済するものであり、
    被害者は今も大変であり、大久野島の毒ガスは中国に行き、敗戦で現地に遺棄されて、それに知らずに触
    れた方が被害であり、吉中医師、2003年に建設現場でドラム缶が出て、土壌の汚染土に現地の人、子供が
    触れて被害で、1人死亡、43人けが、当初毒ガスと知らず、汚染度が校庭に運ばれて被害が拡散し、中身を
    知らず、現地の方が被害に会い、現地の被害者の方、開けていた缶から煙で、これを浴びて被害になり、
    咳が止まらず、水疱ができたと言うのです。目も充血、中身を調べるために医師が毒ガスを浴びて、この
    方、医師の仕事を続けられず、今は薬代にも困る模様です。
     大阪で、中国にて検診を行う医師の報告会があり、毒ガスは神経にも被害と分かり、藤井医師、集中力
    も無くなり、日常生活にも支障で、PRSDではなく、大変な被害、自律神経の障害、記憶力低下、その
    他多くの被害で、仕事を出来ず、被害者は精神的、経済的にも追い詰められているのです。
     中国での被害を日本政府はどう見ているのか、吉中医師、廃棄兵器は自分の責任でやるべきであり、中
    国の毒ガスの始末をしているものの、2割しか処理されず、今後も被害の出る可能性があり、1997年の化学
    兵器禁止条約で2007年までに始末することが義務付けられたのに、まだ数百万発残っているのです。
     元工員の伊藤さん、今でも時に大久野島を訪れて、平和学習の高校生と出会い、高校生が毒ガスについ
    て聞き、毒ガスのにおいは全て違い、刺激臭は強く、青酸は少し吸い込んだら死に、毒ガスのにおいはい
    いにおいのものもあり、悪い匂いだとすぐに逃げられるから、ともいい、伊藤さんの話を聞いて、高校生
    の戦争への意識は変わり、被害のことから、加害のことを考えるようになったのです。
     大久野島は、日本の加害の歴史の記録で、伊藤さん、自分の作った毒ガスが、多くの人を殺したことに
    罪悪感を持ち、そして今も被害であり、そういうものを作った=加害者、好きで作ったのでなくても、加
    害者であると伊藤さん言われます。
     毒ガス兵器は日本でも遺棄されて、大久野島の北の海岸、毒ガスを外へ運び出し、山内さん、海岸から
    米軍の船で毒ガスを太平洋に沈めるという計画だと説明され、船ごと太平洋に、沈めたのであり、手っ取
    り速いからであり、最初は焼却して無害にするとしたが、時間がかかり(2年かかる)、そんな手間はかけ
    られず、海に捨てたら半年で終わり、もちろん終わっていない、毒ガスを積んだ船は、今も太平洋に沈め
    られ、場所の記録はあり、処理された方の証言で、室戸岬の南、場所も一隻は特定され、また、種子島に
    も沈められたのです。漏れることは、上は土砂で覆われて、3000mのところなので、中のものが漏れること
    はないが、海底深く、負の遺産が沈められ、大規模な海洋投棄があり、しかしその前に日本軍による隠滅
    が行われたのです。
     山内さん、連合軍が来る前に、禁止されている毒ガスのことを隠せと、大久野島の海、浜松、舞鶴湾に
    も毒ガスは沈められて、関西にも量は多くはないものの、琵琶湖にも沈められ、これの実態は解明されて
    いないものの、投棄された記録はあるのです。近畿の水がめ、琵琶湖に毒ガス兵器が廃棄されたのです。
     記録が残っているのは、琵琶湖汽船が29年前に作った記録で、これを見せてもらい、確かに、特殊砲弾
    の始末が書いてあり、砲弾をトラック250分廃棄し、大阪・枚方から運ばれて投棄され、日本軍から中身の
    説明はなかったものの、敗戦で、他人には知られたくない極秘のもの、新型兵器と想定され、琵琶湖汽船
    はその後独自調査を行い、砲弾は見つからず船の運航に支障はないというものの、琵琶湖に毒ガスが遺棄
    されたのか、滋賀県の関係者から、危険なものが沈んでいる可能性は低いというものの、山内さんは、こ
    れだけ手間を透けて捨てたから、毒ガスであり、本土決戦に備えて部署には毒ガスも配備され、舞鶴に投
    棄されたものもあり、大阪の兵器工場に毒ガスもあり、トラック10台分捨てたと、環境省の記録もあり、
    あちこちの軍事施設に、本土決戦のために毒ガスが配備され、大阪にあっても当然なのです。
     環境省は2003年に調査し、実際に毒ガスはあり、中身を知らずに触れた人が被害になり、2012年には習
    志野学校でも見つかっています。 
     この日、大久野島で秋の慰霊祭、伊藤さん、大阪から3時間かけて一人で来られて、戦後、初の参加であ
    り、伊藤さん、就職時の仲間の顔を思い出すと言われて、元工員や遺族160人が参加し、今年度78人死去、
    合計3300人死去であり、島で働いていた人の平均年齢は87歳、半分以上亡くなられて、伊藤さんも、慰霊
    祭に参加されて、伊藤さん、工場の同僚たちに、安らかにと、祈られたのです。
     伊藤さん、週に1度、孫の家を訪れて、そこには曾孫もいて、学校で戦争のことを学ぶかと聞いて、曾孫
    は平安時代を学ぶといい、伊藤さん、戦争の記憶を語られて、動員され、今で働き、風船爆弾、防空壕を
    掘る、毒ガスをどう疎開させるか、大変であり、けがした人もあると語られて、13歳の曾孫さんには戦時
    中のことはなかなか伝わらなくても、伊藤さん、語り、戦争の被害、何のためにそんなことになったか、
    伝えるのが自分の役目と言われて、武器を持ち、人を傷つけることは絶対にいけない、万難を排ししてで
    も、阻止すべきと言われます。

     今も毒ガスの後遺症に苦しむ人はいて、中国では遺棄ガスの被害者があり、私たちの足元に毒ガス兵器
    はあり、敗戦70年、戦争の残したものは、消えることはないのです。
     戦争は弱いものには犠牲しか残しません、阻止しなければ、犠牲が出るのです。以上が報道特別番組で
    した。

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      • 2019.08.20 Tuesday
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