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報道するラジオ(2016/08/15) 夏休み企画、敗戦71年 子供たちに戦争を伝える、大阪大空襲を語り継ぐ 矢野宏さん、浜田栄次郎さんのお話

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    永岡です、第202回報道するラジオ、今週も毎日放送アナウンサーの水野晶子さんの司会で放送されまし
    た。
     今週のテーマは、夏休み企画、日付を見たら言うまでもなく敗戦71年です。敗戦について、子供たちに
    伝えたい、ゲストは、ジャーナリストで新聞うずみ火代表の矢野宏さんと、大阪大空襲で全身大やけどを
    負われた浜田栄次郎さん(87歳)、矢野さんのライフワークである大阪大空襲取材がテーマで、戦争体験
    を語り継ぐこと、子供たちにも戦争体験をどう語るのか、戦争体験を記録して、人権社会を実現するため
    に設立された「平和学習を支える会」(http://heiwa.osaka/ )についても語られました。子供さんにも
    聞いてほしいと報道するラジオのスタッフの方は言われます。矢野さんも浜田さんもスタジオでの出演、
    矢野さんは報道するラジオに3年ぶりの出演です。
    (私の母が、これについて、1973年に出版された、大阪大空襲を記録する本2冊を出してくれました)
     矢野さんは、先の会を立ち上げて、体験者に講師になってもらい、学校の平和学習に行く、また矢野さ
    んも自身で平和学習の講師に行かれて、先日も小学生〜中学生に講演されて、学年によりテーマは異な
    り、しかし大阪大空襲を知らない子供も多く、大阪に空襲など、今の子供たちに想像もつかず、先生の年
    代もそうであり、広島、長崎は教科書にあっても、大阪大空襲はなく、むしろ先生の方が真剣に聞いてお
    り、水野さんも大人になり大阪大空襲を知られたと言われて、矢野さんの活動を通して勉強されており、
    水野さんも、皆さんが大阪大空襲を子供たちに伝えられるか、と言われて、矢野さんは年50〜60の学校で
    講演されて、取材を通して大阪大空襲の悲惨さを知り、今も苦しんでいる人がいるのであり、空襲経験者
    とともに行くことも多く、そのお一人、浜田さんが暑い中スタジオに来られて、敗戦、1945年8月15日は浜
    田さん15歳、中学2年であり、浜田さんは3/13に焼夷弾にやられて、ずっと入院、奈良の病院で8/15を迎え
    られたのです。
     空襲で大やけどを負われて、腕も、頭もやられて、両手両足、顔も焼夷弾でやけどして、このまま大阪
    にいたら、次の空襲で殺されると、奈良の親戚の外科医に、担架もなく死に物狂いで避難されて、しかし
    体のやけどはケロイド状であり、今のように薬もなく、赤チンしかなく!今では想像もつかない悲惨さで
    あり、戦災障碍者として71年暮らされて、このお話を多くのリスナーに聞いてほしいのです。
     今週のテーマ、戦争を伝える、矢野さん、戦争の真実、戦地だけでなく、日本国土の悲惨さもあるもの
    で、今日はそのお話、大阪大空襲について、太平洋戦争末期、大阪空襲は50回!以上、B29、世界最大の
    ものが100機以上来たら大空襲であり、B29100機は、空が埋め尽くされて、焼夷弾が落とされて、最初は
    浜田さんの会われた3/13〜14、3.5時間、6.5万発!の焼夷弾で4000人以上殺されて、2回目は6/1,7,15,26
    日と1週間おきで、大阪市内は全滅、全体焼け野原で、人口の多いところは壊滅→7/10は堺市がやられて、
    1840名殺されて、水野さんも詳しくはご存じなく、最後は8/14、つまり玉音放送の前であり、1日早かった
    ら、多くの方が助かったのであり、これは京橋がやられて、東洋一の軍事工場が攻撃されて、6.5万人が大
    砲などを作り、今の大阪城公園のところ、米軍が焼夷弾を落としても、風に乗り違うところに落ちたこと
    もあり、それが今のJR京橋駅に1トン爆弾4個、30mの穴が一発で開くもので、今でも不発弾が出て、その
    際に300m避難になる=破片が300m、爆風も行くという意味であり、一般市民が殺されて、京橋駅に避難し
    た人たち、電車は空襲で止まり、600人ほどの乗客が逃げて、片町線のホームに避難し、上に落ちても、下
    なら大丈夫と言っても、防空壕は満杯→そこに1トン爆弾、30mの穴=駅舎破壊&犠牲者の肉片が血だらけ
    になり飛び散り!今の大阪からは想像できないが、大阪が地獄、分かっているだけで270名殺されて、600
    人、700人殺された可能性もあり、犠牲者の数は71年たってもわからず、当時13歳の吉富さん(女性)、母
    とともに、赤紙の来た、それも敗戦の前日に来た兄を送りに行き、空襲警報→1トン爆弾、母とともに生き
    埋めになり、母は死亡、兄も死亡し、吉富さんは戦災孤児になり、戦争が1日早く終わっていたら、こんな
    悲惨なことにはならず、そんな方が、我々の周りにいるのです。
     浜田さん、71年前中学生であり、浜田さんは空襲に会われるまでは、中学は商業校、寝ていたら、母が
    空襲は大きいと言い、早く起きて防空壕に入れと言われて、外へ出たら、母と妹は防空壕にいて、浜田さ
    ん、外に出るなり焼夷弾を浴びて、低空飛行でB29が来て、体に響く音であり、本当に低いところから焼
    夷弾を落とされて、家は大正区にあり、B29が焼夷弾を落として、家の前に畑があり、そこへ落とされ
    て、一見花火のように光ったのですが、矢野さん、焼夷弾にはリボンがあって、真下に落とせるようにな
    り、その際にリボンに火がついて、花火のように見えた!と解説されて、浜田さん、何も遮るものがな
    く、焼夷弾が落ちて大阪は火の海であり、火が迫り、何も障害物はなく見えて、しかし何が起こっている
    のか、空襲の恐ろしさを目の当たりにして、B29は高い空からやるのではなく、目の前に来て低空飛行、
    目の前で花火のようになり、空襲と分かった=自分が標的、であり、カチンという音とともに、高射砲の
    破片が飛んできて、これは地上から日本軍が反撃しても全く無意味、どころか市民を殺すことになるほど
    のものであり、そうして、それまで落ちてきた焼夷弾と違う音がして、その瞬間に防空壕に飛び込んで、
    家の前、電車道のところにあり、1m幅の穴5〜6mに入り、雨のかからないように蓋があり、3月で寒く、布
    団をその中において、そして防空壕に浜田さん飛び込んで、風の音から変わり、しかし次の瞬間、気絶し
    て、気絶していなかったらより助かったかも知れないものの、飛び込んだところに焼夷弾が来て、破裂、
    爆発であり、瞬間に火の海、逃げていなかったら殺されていたのであり、焼夷弾の炎に包まれて、窓の
    カーテンに火がついて、空襲→ガラスが飛ぶので危険なので窓を開けろと言われて、矢野さん、焼夷弾は
    手でつかんで外に捨てろとポスターがあったほどであり、焼夷弾は鉄の筒、筒にナパームが落ちて5秒で破
    裂、850〜1000度の火が粘着性で逃げられて、バケツリレーをしたら、油なので逆に広がるのに、焼夷弾は
    怖くないと教えられており、これは大前治弁護士が、当時の防空法があって、1937年、日中戦争時にでき
    て、1941年に、大人は空襲でも逃げるなとなり、逃げずに消化させろとして、逃げたら罰則あり、懲役or
    重い罰金(初任給の10倍)=逃げられない、逃げずに消火活動しろ=死んでも街を守れ、という資料を発
    見されて、防空法は粗末で、家の中に作れ=家をやられたら死ぬものであり、それで殺された人も多く、
    浜田さん、自分は家が燃えずに助かり、カーテンに火がついたためであり、それを近所の人がバケツリ
    レーで消してくれて、しかし本当は逃げるべきであったのに、こんなムチャクチャであり、浜田さん大け
    がで、母が防空壕から助けてくれと言い、防空壕は何とか助かり、リスナーより、体験者から、大阪大空
    襲の後、梅田から天王寺の病院が見えたほどとあり、矢野さん、当時の日本家屋は木と紙のために焼け
    て、またリスナーより、母の実家は大空襲で、布施から向こうが焼け野原、生駒山麓に映えたとあり、浜
    田さん、大阪市内はすべて焼けてしまい、浜田さんも、空襲でやられた町を、ダットサンの背中で上六ま
    で連れて行ってもらい、谷町線9丁目の坂から、今の千日前も焼けているのが見えたほどなのです。
     そして、大阪大空襲の話で、リスナーからメールが殺到し、知らなかった、なぜ全国に知られていない
    かとあり、矢野さん、学校で習わない、教科書にない、しかし身近にいて、聞いてほしいと言われて、浜
    田さんも矢野さんも、子供たちに話すと、みんな真剣に聞いて、71年前のことを真剣に聞いてくれて、子
    供たちには戦争の責任はないが、皆さんが大人になって作る社会には責任があり、戦争をする社会か、戦
    争のない社会を選ぶかとあり、リスナーより、大阪のよく知られたところが71年前に悲惨で、ぞっとする
    とあり、しかし水野さんこれは大事と言われて、浜田さん、体がやけどを負い、遊び盛りに何もできず、
    野球の選手にもなれず、どころか遊べず、人前に出られない、ケロイドの痕を見られたくなく、電車に乗
    るのも、ポケットに右手を突っ込んで、であり、お嬢さんも二人恵まれて、しかし働くのも、ケガした時
    には父が商売であり、しかし商売(麻袋)は戦後斜陽化し、子供二人をどう育てるか、それも戦災を負っ
    たもので、大学は卒業させてもらい、しかしお嬢さんは、下の娘さんは経済的に苦しく、大学に行かせら
    れず、水野さん、被災者への補償について聞かれて、矢野さん、民間には補償はゼロ、戦争受忍論であ
    り、しかし旧軍人、軍属、シベリア抑留者、広島、長崎にも少ないながら保障はり、浜田さんの病院は全
    部自費であり、もし全部の人に補償しないといけないと戦争を国はできなくなり、浜田さんたちは裁判に
    訴えて、浜田さん、今87歳、戦争は国が始めて、そして国は止められるものであり、戦争は自然災害では
    なく、政治により止められて、「絶対に戦争はだめ、苦しむのは女性と子供」、怪我したら、一生は終わ
    りであり、絶対に戦争をしてはいけない、話し合いでやるべきと締めくくられました。

     ニュースは上田崇順さんの担当でした。
     敗戦の式典があり、正午に1分間黙祷、安倍総理は戦争の惨禍を繰り返さないと要ったものの、アジアへ
    の謝罪なし、天皇は戦争の惨禍を繰り返してはならない、世界の平和と述べて、遺族が式辞を述べたもの
    です。安倍総理は靖国神社に玉ぐし料を入れて、数名の産廃があり、みんなで靖国神社に産廃する会は60
    人以上赤信号みんなで渡れば怖くないで、韓国から批判を受けています。
     矢野さん、これについて、天皇と安倍総理の戦争への違いがあまりにひどく、兵士の6割は餓死、食べ物
    がなく殺されて、日本兵はアジアの2000万を殺して、重慶では日本軍が爆撃し「日本は加害者でもある」
    と言われました。
     韓国は日本の植民地支配から解放に言及しても、今年は初めて従軍慰安婦について触れず、経済と北朝
    鮮の脅威についてのみ言及し、日韓合意の白紙化を求めて、また韓国の議員が竹島に上陸であり、日本は
    中止を求めても、です。
     戦争準備法案に反対していたシールズ関西の皆さんが今日8月15日に解散、戦争準備法案強行採決時に2
    万人デモ、参院選に参加し、参院選を区切りに、東京のシールズとともに解散であり、神戸大の塩田さ
    ん、自分たちと政治を近づけて、自分たちの過ごす町で、自分たちの言葉で政治を語るのだと言い、これ
    からは一人一人が社会への責任を果たすと言うのです。
     伊方原発再稼働、発電と送電の開始、しかし伊方町で震度2も無視、規制委の検査の元で営業運転、川内
    に続いての営業運転、MOXは伊方のみ、中央構造線の地震の不安&半島の住民の避難の問題があり、矢
    野さん、最大の懸念は住民の避難であり、伊方の先に500人いて、事故時には避難不可能であり、船での避
    難は不可能=事故で見殺しにされて、矢野さん、「日本では人の命は大切にされているのか」、「これは
    71年前と同じ」だと、矢野さんは強調されました。

     今週の報道するラジオ、リスナーの声が殺到し、戦争を伝える、をテーマに、在日のリスナーの方か
    ら、戦争を伝える際に日本人だけが被害者のようになり、韓国人も悲惨と言われて、矢野さん、空襲の被
    害地で、中国、朝鮮の方は防空壕に入れてもらえず殺されて、殺された方を哀悼していたと指摘されて、
    水野さん、日本人は被害者かつ加害者で、これは過去だけでなく、今も続き、被害者と加害者の立場、安
    倍総理はアジアへの謝罪なしであり、矢野さんは、これをどう伝えるか、時間は限られて、たくさんの人
    の話を聞いて、伝えるべきと締めくくられました。
     もうお分りでしょう、戦争は破滅であり、弱いものが最初に犠牲になり、戦争を始めた権力者は責任を
    取らないのです(エリートが責任を取らず逃げるのは、私もサラリーマン時代に嫌というほど体験しまし
    た)、この内容、例によりいくらでも拡散してください、戦争が起これば、すべては破滅です!



     

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