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11月メール通信「“失うものを回避”したコスタリカの憲法法廷」(池住義憲)2

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    <2018年11月メール通信> BCC送信
    *受信不要・重複受信の方ご一報下さい(転送/転載歓迎)

    『“失うものを回避”したコスタリカの憲法法廷』

         2018年11月8日(木)
               池住義憲

     今年8月21〜29日の9日間、中米コスタリカに行ってきました。「兵士の数だけ教師を!」「トラクターは戦車より役に立つ!」「兵舎を博物館に!」「銃を捨てて本を持とう!」をスローガンにして、常備軍としての軍隊を廃止した国、コスタリカ。現地を直接訪れてその地に立ち、人々の息吹きに触れながら、「平和」を、「民主主義」を改めて考えたい。安倍政権が9条改憲を目論む今だからこそ、「平和憲法」を改めて捉え直したい。そうした思いからの旅でした。9日間の旅では、オスカル・アリアス元大統領、オットン・ソリス前国会議員、ロベルト・サモラ弁護士らと直接会って話しを聴くことができました。詳細は、現在、「報告集」を作成中で、1月に発行予定です。

     今回「メール通信」は、ロベルト・サモラさん(以下、ロベルト)との面談を、報告します。2003年3月、米国主導の有志連合がイラク侵攻した時、当時のコスタリカ大統領はそれを支持しました。そしてホワイトハウスのホームページに掲載された有志連合リストに、コスタリカの国名が載りました。これを知った当時大学3年の学生が、平和憲法を持つ国の大統領が他国の戦争を支持するのは憲法違反ではないかとして、憲法問題を扱う最高裁判所第四法廷(憲法法廷)に提訴しました。

     1年半後の2004年10月、最高裁は「イラク侵攻支援がコスタリカ憲法と平和的伝統に反する」との判決を下しました。その時の大学生がロベルト・サモラさんです。私はコスタリカに行ったらロベルトさんに是非お会いしたいと思い、2018年8月24日午後、サンホセ市内のレストランで実現したのです。

     日本はコスタリカのように憲法裁判所はありません。しかし、自衛隊イラク派兵差止訴訟(2004年2月提訴)で名古屋高等裁判所は、派遣された航空自衛隊の空輸活動の一部を憲法違反とした実質勝訴判決(2008年4月)を下し、確定しています。

     今回の面談では、そうした日本とコスタリカの「市民による平和憲法を護る具体的取組み」を共有しながら、気さくなお人柄をにじませるロベルトさんから当時の思いや状況を直接伺いました。長文になるので質疑応答は割愛し、問答形式でロベルトさんから聴き取った内容をお送りします。

    2018.11.8
    池住義憲

    ------------------------------
    【聴き取り問答】

    Q. 2003年に憲法法廷 (注) に提訴した時の状況について、そのきっかけも含めてお話しください。

     一番のきっかけは、私が腹立ったからです。腹が立ったから訴えてやろうと思ったのです。コスタリカは米国がイラク侵攻した時にその有志連合のリストに名前が載っていました。そのことが持つ意味は、米国の決定を支持するということだけではありませんでした。コスタリカというのは、国際的に「平和の国」と認められていました。コスタリカ人にとってそれは大事なファクターであり、誇りであり、名誉なことです。

     しかし、コスタリカが有志連合に名を連ねる、米国のイラク戦争を支持する、支援する、ということになれば、私たちの誇り、名誉を翻さなければならなくなってしまいます。それは単に支援するということだけに留まらず、コスタリカ人の尊厳を傷つけるものであり、重篤な罪だと思いました。

     腹を立てたのは、私だけではありません。コスタリカ人の99%は、腹を立てていました。99%という数字はアンケートに基づくものです。みんな怒っていました。当時私はまだコスタリカ大学法学部の3年で、最高裁判所で実習をしていました。そして大学の授業が終わった後に、コスタリカがイラク侵攻を支持している、有志連合国のリストに入っているということを、一緒に授業を受けていた学生から知りました。

     私たちは、「こんなことになってるよ。これはコスタリカにとって悪いことじゃないのか」「じゃあ何ができる?訴えようか」「私たちは法学部の学生だから、訴えることが出来るんじゃないか」など話し合いました。でも、その中の一人は、「そんなことしたらコスタリカは米国に睨まれて、米国ビザを出してもらえなくなるんじゃないかと言ったのです。その言葉を聞いた時、私は、心底、腹が立ちました。「米国ビザ、それが何だ!」と思いました。怒りをどこにもぶつけることできず、怒りを持ったまま家に帰りました。

     (注) 憲法法廷:
     憲法法廷はコスタリカ最高裁判所の法廷の一つで、一般的には「第四法廷」または「憲法法廷」と呼ばれています。第一法廷は、民事・商業・農業・行政に関する訴訟などを扱います。第二法廷は、第一法廷で取り扱われない訴訟で家庭や労働などに関する訴訟を、第三法廷は刑事に関する訴訟を扱います。第一から第三法廷の訴訟は簡易裁判所や地方裁判所から上訴されてきた訴訟を取扱いますが、第四法廷(憲法法廷)では憲法に違反するかどうかという問題が直接持ち込まれ、そこでの一審のみとなっています。最高裁判所の裁判官は22名で構成。任期8年で、議会の三分の二の反対がない限り再選されます。

    Q.訴状には、どのようなことを書いたのですか?

     憲法法廷に訴えるとことの内容は、自宅に帰って一人で書きました。コスタリカがやっていることはただ支援しているということだけじゃなくて、ホントに悪いことだと心の底から思いました。

     裁判のプロセスは簡単です。2003年4月に憲法法廷に持ち込みました。私が訴えて、政府がその内容に反論します。そして1年半後の2004年10月、憲法法廷は「大統領の発言はわが国の憲法や永世中立宣言、世界人権宣言などに違反しており違憲である」という判決を出してくれました。憲法法廷はそこが最初で最後。上訴はないので、これで確定しました。

     訴状には7つのポイントを書きました。一つ目は、「中立を破った」ということ。コスタリカは中立なはずで誰の味方でも誰の敵でもないのに、明らかに誰かを支持している、支援している。これは中立に反しています。
    二つ目は、「平和の価値を蹂躙している」ということ。実際は「権利」という言葉を使って、「平和への権利が侵害されている」と書きました。当時の憲法法廷では、「平和への権利」という表現は評価されていませんでした。その後何年か経って別の訴訟の時に、憲法法廷が「平和というのはコスタリカ憲法の合憲性・違憲性を計る際のパラメーターになり得る」という判断を示してくれました。

     三つ目は、米国のイラク侵攻が国連決議が一切ないままに行われた、という点です。ということは、国連憲章に書かれていることに反している。国連憲章を守らなければならないのに、その義務を果たしていない。しいてはコスタリカ憲法をも侵害している、と主張しました。他にも、イラクの国民が決定する自由を侵害していること、なども書きました。

    Q.憲法法廷に提訴したのがイラク侵攻から約2週間後の2003年4月、判決が一年半後の2004年10月。その間、口頭弁論は開かれたのですか?

     1回だけ、公開で行われました。短い時間でしたが、事前に出した訴状でなぜ私が訴えたか、その内容は解っていたと思います。大統領は出廷を拒否したので、当日は外務大臣が来ました。最初に私が陳述し、次に被告(政府)が反論。時間はそれぞれ15分くらい。

     法廷の中に入り切らないほど、傍聴希望の人たちが来てくれました。中に入れない人たちが300人か400人くらい、外で待っていました。その日は、今思い出しても私にとって特別な日でした。私はその時23歳の学生で、初めての訴訟。しかも最高裁の憲法法廷という場。扱ったテーマはコスタリカの歴史上でもとても大事なことだったからです。

    Q.憲法違反という判決を聞いた時はどうでしたか?

     ほっとしました。実際のところ、私が勝ったのではなく、私たちが「失うことを回避した」ということだと思います。皆さんは、私が判決を聴いた時「ハッピー!」と感じたのではないかと思っているでしょうが、そうでもありませんでした。他の友だちがやらないから私がやった、という思いでした。今思い起こしてみると、自分がやったことはコスタリカの歴史で重要なことだった、と思います。でも、憲法法廷の判決の翌日、米国のコーリン・パウエル国防長官から直接ファックスで、「コスタリカを有志連合のリストから抜いた」との連絡を受け取ったときは、ホントにハッピーでした。(拍手)

    Q.今、「勝ったわけではない。失うものを回避できた」と言いましたね。すばらしい。みなさんからの質疑応答の前に、もう一つだけ質問します。2004年10月以降、ロベルトさんが憲法法廷に提訴したものはありますか?

     もちろんあります。いろいろな訴訟を持ち込みました。そのなかで私がとくに印象に残っているものは、原子炉を造るという大統領令が出された時に訴えた訴訟です。その時に「平和への権利」(注)  が憲法法廷で初めて認められたのです。それまでは「平和の価値」「平和の大切さ」「平和の価値観」というのはありましたが、国民の「平和に対する権利」「平和への権利」というものが認められたのは、この時が初めてです。思い出深い訴訟でした。原子炉建設を禁じることによってコスタリカは原子力を使った産業ができないようになっています。

     また、デモなどの際、特別な武器を用いることができるという大統領令が出た時に起こした訴訟もありました。これは通常の裁判から始まったのですが最高裁までいき、最終的に勝訴で終わりました。以後、デモなどの時に特別な武器の使用は禁止になって現在に至っています。その他にもつい最近2〜3週間前のことですが、同性婚が認められることになった訴訟などもありました。

     (注)「平和への権利」は2016年12月19日、国連総会において採択されました。

    以上
    *質疑応答部分は略(来年1月発行予定の『コスタリカの旅報告集』に全文掲載します)


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