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J−WAVE JAM THE WORLD(2020/8/12) 安田菜津紀 福島・磐城飛行場(太平洋戦争時の少年兵訓練所、現在福島第一原発敷地内)から敗戦75年を考える、全体主義の捨て石にされる犠牲者を産む社会に民主主義は来ないことを説く、香港と日本の入国管理局の人権

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     永岡です、J−WAVEのJAMTHE WORLD、グローバーさんのナビゲート、水曜日のニューススーパーバイザーはフォトジャーナリストの安田菜津紀さんでした。

     安田さんの気になったニュース、香港の治安維持法がジャーナリスト弾圧に使われて、中国共産党が力で支配する=言葉を奪う、デモ、教育、ネットの書き込み、これに世界が沈黙したら権力者の思うがまま。さらに安田さんの気掛かりなのは、民主化だけでなくハラスメントでも、声を上げる人をシンボル化、アイコン化するのは問題。アグネスさんを女神とするのは問題、民主化運動の象徴としてアイコン化したら本人のリスクが高まり、安田さん、この前に国会前で香港のために抗議デモがあったと報告されて、日本はデモ、発言する自由があり、日本政府が中国共産党にものを言えるか? 

     そして、自由として、東京入管での人権侵害、品川でコロナ感染が収容者にあり、弁護士が記者会見、昨年6月に収容=この方の持ち込みではない。東京入管には180名拘束されて、難民申請の方、日本人、永住者と結婚しているのに拘束されて、拘束された方はちゃんとコロナのことも収容実態も説明されず、拷問だと国連も批判、拘束は人権侵害ではあり、収容者に検査、感染経路を把握して対策すべき、解放できる人は解放すべき。収容者の家族も記者会見に同席して、入管は大丈夫として根拠は示されず、収容された方は、自分たちを人間と思われていない。弁護士から、法務省は感染防止のタスクフォースを任されているのに、東京入管はマニュアルを守らず、法務省の責任は大きい。収容はいずれ強制送還のためだが、今は海外に送還は無理で、施設に密でいさせる=d人権侵害、香港だけでなく、入管での人権侵害にも声を上げるべき。香港と入管を今後も取り上げると説かれました。

     

     UPCLOSE、敗戦75年特別企画、磐城飛行場についての安田さんの取材報告です。福島第一原発構内にあり、少年飛行兵の訓練と、敗戦直前に特攻隊の訓練基地であったところ。このことは私も知らず、大熊町、双葉町にまたがり、原発敷地の2/3、2010年の航空写真では格納庫はあるものの、今はそこは汚染水タンクが並び、残された石碑を頼りに取材、1940/4に国の命令で建設、農家は追い出されて、建設業者だけでなく、主婦、若者も建設に駆り出されて、移転は住民の同意なし。磐城飛行場は敗戦の半年前、1945/2から特攻隊の訓練場、その後鹿児島の知覧などに行かされて、8/10は軍事基地で大空襲されて、米軍のガンカメラの映像もあり、磐城飛行場の石碑は震災前は市民も見られたが今は移転で、原発敷地内。安田さんも住民に取材して初めて知り、地元の歴史に詳しい鎌田さんを安田さん取材、今年78歳、磐城飛行場は、当時、敗戦直前も知っていたのは大熊町でもほとんどなく、知らされていない。敗戦後、GHQに何かされると移転、書類は焼かれて、飛行機の処分に今の双葉高校(当時の中学校)の生徒が動員されて、飛行機をGHQから隠して、竹やぶに隠した。それを鎌田さん覚えておられて、通称赤トンボという戦闘機が、藪の中に隠された。

     当時の生徒の動員は書類の記録はなく、当時作業に当たった方、鎌田さんと15年付き合い、練習には滑走路で利便性が高かった。今の南相馬市にも飛行場があったものの、磐城飛行場は断崖絶壁にあり、稜線を敵艦に見立てるなどして、双葉町の歴史に記述はあり、赤トンボ50機、ゼロ戦1機、後者は双葉中学校に移されて、しかし敗戦後、磐城飛行場の記録は廃棄されて、まだ治安維持法があり、敗戦後も知らない人が大半。

     福島原発敷地の石碑が大事。捨石塚があり、今は帰還困難区域にあり、出入りは出来ても住めないところに塚があり、戦時中、石油がなく、石炭で走る車が作られて、それの研修生が来て、自分は国のために捨て石になるという意味。しかしこれを取材したら、丸くてなめらかな石であり、海の磐城飛行場から兵士がやってきて、戦死したもののために石が積まれて、これについて鎌田さん、2015年に、飛行場で親が働いていた人、今90歳くらいの人に現場を案内してもらい分かった。1945/8の様子は、70年経ってようやくわかった。捨石塚=国のために捨石になれ、鎮魂、供養のもの、敗戦70年で実態は見えてきた。

     敗戦後、磐城飛行場は塩田になり、どうして払い下げたか、その過程は不透明。そして1961年に福島県議会が原発誘致、70年に運転開始、なぜ飛行場の跡地が原発になったか?

     ツイッターでメッセージがあり、公文書は大事、国立国会図書館にも磐城飛行場の詳細はなく、跡地に福島第一原発建設、その間に様々な出来事。ここがコクド(西武)に買い取られて、塩田→ニーズがなくなり、使途のなくなった土地が東電に買われて原発。鎌田さん、大熊町の歴史に、30万坪が住民の知らないうちに堤誠一氏に買われていた。磐城飛行場のところ、原発誘致の方便。福島のチベットと一部言われた辺鄙なところが原発になり、鎌田さんは果物を作られて、いいところで原発を作られて、1日汗を流して農業より原発を選ばせた。1960年代の原水爆禁止の運動もあり、当時鎌田さんは高校生で原発の知識なし、しかし不安はあり、できたら仕方ない。怖いのはヒューマンエラー、チェルノブイリ原発事故もそれが原因。

     磐城飛行場の敷地は西武グループに買い取られて、そして福島第一原発になり、3・11の津波で福島原発事故、当時鎌田さんは3kmで梨農家、避難されて、当時は奥様と夜中の真っ暗な中で妹さんのところに避難、奥様は寝た切りで、避難所には行けず、1時間かけて避難して、妹さんのところに行った。梨つくりでワゴン車があり、それで避難。体育館の避難所でおむつ交換できず、そして安田さんの取材先の家族が行方不明、2016年に遺体の一部が見つかり、そして原発事故、着の身着のまま逃れて、鎌田さんの梨農園は帰還困難区域になり、汚染度の中間貯蔵施設になり、農園を2月に取材、フレコンバックの山。鎌田さんは19歳から梨づくりをされて、試行錯誤を繰り返して自分たちの果物を成功させたときに原発事故。

     原発の前に、命を奪う特攻隊の基地→原発事故→中間貯蔵施設、鎌田さんの思いは、原発は出来たら欲しくなかった。国は住民のための大義名分を作る。福島県は移染した、福島県のため「個人より町を優先」みんなのためなら止むを得ない、反対できない、選んだ町会議員、町長にはさからえない。磐城飛行場は国のため、原発も国の発展のため、沖縄の米軍基地も同じ、国のやってきた後始末を見たら、大熊町、双葉町の末路は見える。これらは3・11時点の町ではなく、今より悪くして残したくない…

     安田さん、みんなのためなら犠牲になれ、は問題、磐城飛行場は国の防衛のため、原発は国の発展のため、それで拒否できず、原発事故、中間貯蔵施設は福島県のため、として住民は切り捨てられて、原発事故、そして太平洋戦争、国の「大義名分」のために地方が犠牲にされて、都会は豊かと言えるのか?リスナーからも、過去に目を向けないと、記憶から消し去られたらダメ。未来への選択が問われているとあり、安田さんのお話を泣きながら聞きました、以上、安田さんのお話でした。


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      • 2020.10.30 Friday
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